一本書き上げるとほっとしてサボる。しかもそれに夏バテというレッテルを貼って自分を甘やかす(^^;
心療内科の本プロジェクト、一つ目の症例の書き直しができた。読むに耐えるクォリティになった。
書いていて発見が幾つもあったが、そのひとつは「ヒゲが生えた母」の正体である。強い母の裏には「父性の欠如」がある。夫やお父さんが弱いから、妻/母は強くなろうとしてヒゲが濃くなるのだが、それはひたすら弱き男に原因がある。
我が父を思い出すと、非常に偏った父性だった。サラリーマンにして山の手線内に家を建てた資産形成力はあった。ローン返済にも妙案を出し、株式投資も上手い。お金に聡い人だった。一方で子育てゼロだ。単身赴任のせいもあったが、子供や母と会話という会話がなかった。兄はそうそうに家を出て、ぼくも旅に出た。何事も母におんぶにだっこでご飯も作れないし、洗濯モノひとつたためない、生活力はゼロ。おもしろい人でもなく、趣味もなく、経済だけを牛耳って、他は何一つダメだった。
父性の欠如が母を強者に駆り立てたのだろうか。お嬢様育ちの母は昭和の有職婦人だった。慶應で体育教師をし、結婚後もドッグブリーダーやトリマーになった。やりたいことをやる人だった。片や経済のみ、片や自分の夢、ある意味で昭和の典型的な夫婦セットだったのかもしれない。
子である兄やぼくに父性があるだろうか。
兄は小さな会社の社長もしたがぼくの見立てでは「カイライのリーダー」である。親分肌を見せてそれなりに立ち回るが、何か欠けている。本音のところでは自利の人(自分本位というくらいの意味)に見える。
一方ぼくには父性はなかった。
家庭でヒゲの生えた妻にボソボソと呟くだけだった。リーダーとして振る舞う性格はゼロで、自分一人で仕事するタイプである。兄もぼくも無き父性の影響を受けている。
少しずつ変わってきたこともある。自分に素直になれてきたこと、こんな自分だと見切れるようになってから、弱き人の立場が見えて、自利が薄まってきた(ような気がする、自画自賛ですが)。父性というものを多面的に書いてゆくと、母性もプリズムのようにわかってゆくと思う。
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