父性

昨夜の話だが10時半過ぎにシャワーを浴びた後も熱中症気味は収まらず、アレを飲むしかない!と小銭入れを出すと、不幸にも10円玉は10枚ほど、そこら中からかき集めて15枚に達した。よぉしとアパアトの前の自販機に行った。ポカリスウェットを買うのだ。

ところが、価格は160円だった!^^;; 愕然としたがへこたれずもう一度部屋に戻り、10円足して、再び自販機の前に立った。1枚、2枚、3枚…とじゃかじゃか入れたところが最後の1枚だけ、なんとしても受け付けてくれない。北の国の偽造硬貨なのか?途方に暮れてしょぼんとした。振り向けば斜向かいの居酒屋に自販機を発見した。小走りで行くとポカリスウェットがあった。150円だ。その場で栓を開けてゴクリ。ヒトを取り戻した…

話はやや飛ぶが、自分には父性がないことに気づいた。

引きこもりの子をもつある母親と話をしていたら、良い家には母性と父性という二本柱がすっくと立っている、だが父が早逝したり、父が父らしくないと、父性が消失し、母が強くなりすぎてしまう。そこで育つ娘はヒゲを生やした母になっていく。それが繰り返されてゆくというのだ。

思い起こせば、我が実家にも寡黙な父と、元お嬢様の母がそれぞれ別にいた。ぎゃあぎゃあいう母の言葉を飲みこんで、父は何も言い返さず逃げていた。その子であるぼくもぎゃあぎゃあいう元妻の言葉をたらふく飲み込んで、仕事に逃げていた。父との思い出をあさっても、競馬場やパチンコ屋に連れられた思い出くらいで、ぼくは「ついで」である。まるで対話がなかった。父の仕事もわからかったし(サラリーマンゆえ見えない)、だから父性がぼくの中に育たなかったのだろう。

しかし父と違うところもある。ぼくは元妻の言葉を飲み込めなくなった時、離婚した。やり直そうと踏み出せた。まあ過去は変えられないし、未来も変えにくい。ぼくの子もまた父性なき子に育ち、やがてそれを子に受け継がせていくかもしれない。だからこそ、自分に父性がないとわかったならば、少しずつ元家族に対して、いや誰に対しても「父性ぽいもの」を意識して出してゆくしかない。それは10円玉をかき集めて一枚ずつ入れるように、お金もないし、あれもこれも思うようにならないし、遅々としているのだけれども。

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