文の構成について。

文の構造について技術論をひとつ書いておこう。

昨日読了した「死にゆく人のかたわらで」で、最初の3章がスリリングだが、後半がテーマ別になって連続性がないと書いた。それを図示すると下の画像の右側である。

怒涛のイントロでは、3章にわたって看取り(自身のことと社会問題)、最期(排泄や介護機器)、患者自身(病歴、がんの進行)、そして訪問診療のことが、うねるように描かれている怒涛の展開である。そのあと、テーマ別に(お金、痛み、延命治療、家族など)ブツ切れになっている。構成としてはこういうのもありである。

一方ぼくが書くドクターの肖像の構造は図の左側である。

イントロは1-2章分あって、数行で全体を示唆するまとめをつける。いかにシームレスに最後まで読ませるかがポイントである。だから謎解きの展開が理想である。ジグソーパズルのように人物像がだんだんできてゆくように書けたときは最高である。読者にアハンと思わせる要素が〝人物洞察〟である。7000字という量なので「一本橋」でぶつ切りはしない。

芥川賞を取るプロ作家はどう書いているか。ひとつ例を挙げよう。敬愛する今泉光氏の「石の来歴」の構成を書いてみた。

出だしに重い記憶がある。戦地での忘れらない死。主人公の後の人生を暗示する〝石〟という消せない過去。そのあとは主人公はごく普通の市民生活を送る姿を描き、一本道である。ところがあるきっかけから主人公が「石を集めだす」。そこから構成が分かれてゆく。一本は主人公の石を集めないといられない神経症的な心模様。そのサイドラインとして、彼に影響された子が犯す殺人や死、そして妻との離別が追いうちをかける。そしてもう一本は背景であり、戦争から戦後へという日本の重たい歴史である。この3本が遺伝子構造のようにくねって進んでゆき、やがて絶望のエンディングでひとつになる。

どんな文でも、読者は基本的には「探険する好奇心、発見する喜び」を求めている。そこに到達するために何を見せて、何を隠すか、どこに連れて行き、また迷わせるか。それが構成である。構成という道を確かに舗装するためには、歩ませる人物造形がキモである。書くということはむつかしいけれど、どんな文からでも学ぶことがある。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中