自然の摂理

元同僚が「植木屋になります」と言って退職したという。植木屋か…またなんでだろう?とつらつら考えていたが、彼いわく「自然の摂理」に従おう、だから植木屋になったらしい。

なるほど…「自然の摂理」でピンときた。

自然の摂理とは、自然に発生して、自然に育って、それが均衡している状態である。あるがままの生き方ともいえるし、キリスト教的には「すべては神の御心のまま」に受け入れるという意味でもある。彼がどの意味で植木屋になったかは知らない。ただ植木という草花や土はありがたい。気持ちが落ち着く。空気もきれいになるようで清々しい。

特に我が家の、枯れかけては育ち直すパキラは、元気がでる。

「ことばの木」とも呼んでいるが、冬はへなっていたが夏になって復活中。芽もいろんなところから出て来て頼もしい。

草木のもつ摂理とはなんだろうか。ひとことでいえば「生老病死」だろうか。生まれて育って青々として花を咲かせてお休みに入る。あったかいときにもらった力を蓄えて冬を越し、また生老病死を繰り返す。季節を何年も何年も繰り返して、やがて生命という大きなサイクルの生老病死を迎えて土に還る。そうありたいものである。

しかし自然の摂理は何もしないでいいわけではない。そのサイクルに立ち戻るにはパワーがいる。

たとえばガソリン自動車をやめて電気自動車にしようと言うだけで、世界中で議論が湧き上がる。ケンケンガクガクを突破して、地球のエコサイクルを良くするには、価値観の転倒という大エネルギーがいる。

今日は個人的にもパワーをつかった。宙ぶらりんの文について、どう書き直すか心療内科の先生と電話で2度も激論した。そういうことは初めてだった。何しろ人生の大先輩だし、今まで牽制し合ってできなかった。それがなかったから良い文にならなかった。今は書き直すならこれ」という方向を出したので、やるにせよやめるにせよ、ことばの神の御心のままにである。

 

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