サバサバした気持ちで家を出た。駅に着くと胸騒ぎがした。するとその通りのことが起きた。こりゃ幸先が良さそうだ。
遅々と進んでいる原稿を置いて出かけたのは、ある人に会うためだ。お会いすると、挨拶も早々に言われた。
「これとこれは別人が書いたようです」
これとはドクターズマガジンの「ドクターの肖像」である。これまで精魂込めて50人の医師を書いてきた。その人はその文を褒めてくれた。「これを書ける人は世に出れます。どうやって書いてますか?」「彫って書いてます」と言うと大きく頷いて「その通り。人間を書くということは彫ることです。そうしないと書けません」1行書くのがどれほどたいへんかわかってくれたのが嬉しかった。
一方もう一つのこれとは、宙ぶらりんになっている本にしたい原稿である。
「でもこっちはどうしてこんなに中途半端なんですか?」
と単刀直入に聞かれたので率直に答えた。すると、自分でもどうしてまずいのかわかってきた。根っこのブレを言い当てられた。どうすれば世に出せるかも教えてくれた。
「それが書ければまだ書かれていない本になる。消える本ではなく、残る本になる」
叱咤され背中を押してくださった1時間半であった。その足で近所のギャラリーf分の1に寄ると、ユニークな焼き物作家とファンキーな着物姿の来場者がいて、そこでも1時間半立ち話した。着物デザイナーはものすごくエネルギッシュな人だった。ギャラリーオーナーは白内障を自覚しているそうで、赤星先生を紹介すると約束した。ギャラリーを出て帰宅の途につくと、御茶ノ水の杏雲堂病院のある交差点にさしかかった。
かつてー10年以上前になろうかー母がこの建物の角部屋に入院していた。肺がんの手術を受けたのだ。母が空からバカな息子に力添えしてくれた日だった。昨日が人生の底で、今日が反転の跳躍日にできればいいと思った。
コメントを残す