「わからぬものです」とは名カウンセラー木田恵子先生の言葉で、これだけ精神分析をしていても、人の心はわからないという正直な気持ちである。
ぼくも人の心はわからない。交われない、交わる部分が大きくできない、そんな思いをこれまでの人生のいろいろな局面でしてきた。学校で、会社で、そしてここ数日も仕事でしてきた。
心療内科医に言わせると「母親と心から対話できなかった人はそうなるものです」。振り返ると、ぼくは母とどこか心を開きあえなかった。ただぼくはそれ(母親とのコミュニケーションに未成熟に育った)に気づいているからまだいいのですよ、と心療内科医は慰めてくれる。ぼくはだいたいは気づいてはいて、人との壁をなんとか低くしようとはしている。できないことも多いのだけれども。
コミュニケーションに障害があるのはぼくだけではない。人もである。
そういう人びとと仕事をしてうまくいかないことが今年は2回あった。自分が悪いのは百も承知だが、ところで相手はどうなのか?と冷静に考えると、どうも自分と似ている。相手が傷つくことに鈍感なのだ。気づいているのかどうか、たぶん繰り返し同じことをしているから気づいていない。それでいて「あの人はどうこう、ダメだ」と批判を聞かされた。いつしかその批判の対象に自分もなった。それだけのことだ。
仕事がうまくゆく、ゆかないとは、実は能力以前の問題がほとんどだ。
部長とか課長とか、部下の仕事にプンプンと怒る人が、肩書きを外して「君ができないのはどうしてだろう、一緒に考えようじゃないか」という態度で、自分の方に降りて来てくれたら、ほとんどの部下は仕事はできるようになる。
母も同じだ。学校で成績が悪かったとき「一緒に考えてみよう」と親身になってくれたら、子供は勉強しだす。「ダメな子は塾にいきなさい」となったら勉強なんかするもんかとなる。したとしても表面的な親のための勉強である。そしていつか心が壊れる。
人の心はわからぬものなのだが、わかりあえない理由はかなりの部分同じである。そのことをわかってくれる人が増えないことには、生きづらさは減らない。そのためにぼくは書いている。
ピノ子とはだんだんわかりあえてきた。
はじめまして。
去年の秋に、木田恵子さんのことを知り、さっそくほぼ全著書を買って読んでいます。
もっと情報ないかとググっていて、こちらのページに辿り着きました。
私はもう60代なのですが、もっと若い時に木田さんのことを知って、精神分析していただきたかったと、まぁ、ないものねだりですが、残念でたまりません。
のなみさま
コメントありがとうございます。肉体の生命はなくなりますが、本=精神=ことばの命はいつまでも残ります。木田さんの著書は普遍的なものだと思います。読みこまれて、本と寄り添って生きらればいかがでしょう。わたしなぞには到達できないものを感じてくださいね。ありがとうございます。