アセアン(といってもベトナム人オンリー)留学生の就活講義、前期の終了日です。
講義はなしで、就活生がひとりずつプレゼンする日だ。テーマはこの講義で学んだこと、または将来の夢を3分間スピーチで語ってもらった。
「二人の先生(剣持さんとぼく)のおかげで就活の基本がわかりました。面接をたくさん練習しました。一度、面接で準備不足で落ちましたが、これからはがんばれそうです」きっと大丈夫。内定ゲットしよう。
「好きなこととできること、どっちを選びますか?」この問いかけは秀逸だった。好きな道に行きたい、でもまだできない。就活生にとっても社会人になっても、そういうことはある。好きなことに挑戦してほしい。
「講義を休もうかなーと思いましたが皆勤しました」それは大切なことだ。休むときはよっぽどのことがないといけない。妻が亡くなった日に公演をやってのけた歌舞伎役者もいる。悲しいけれど、舞台なのだ。仕事は約束だからだ。「ベトナムは休みたいと休みます(笑)」と言っていた。
「講座ではみんな同じ目標を持てたのがよかった」そうです、ひとつの目標をみんなでやるから、やれることが大きくなるし、よくなる。
「目標は2ー3年でお母さんを日本に呼ぶこと」いつか母と小さい手作りのお店を開くのが夢だ。きっとできる。がんばって。
学んだことは3つあるという。「一人よりみんなで問題解決を」「自己紹介に自信がついた」「問題には幅広い視点から取り組む」 チームワーク、面接、グループ討議、その3つのことを学んだというプレゼン、内容もよかった。
「この講義に出て自分のことがわかってきた」それは一番大切なことだ。自分、会社、お客さん、仕事とはこの3つをぐるぐる回ることだ。起点は自分。
「履歴書、自己PR、だいたい自信がもてるようになった」でもチームで討議するのがむつかしいという。そこで「レゴ型」という話をある経営者が言っていた。レゴのブロックを組み合わせるようにチームをつくるのだ。レゴには凹凸がある。窪みと突起でグループ内で情報や意見を共有し、受け渡しする。ところが突起と突起では受け渡しできずにケンカばかりになってしまう。あるいは突起(専門性)を持たない人は、グループで貢献ができないというわけだ。
「グループ討議は苦手です」アイデアは話しても出て来ないけれど、面接官の前では緊張しないようになった。皆勤賞、ありがとう。
「自分に何が足りないかわかってきた」彼は日本が長く、日本語はぺらぺらでいつでも働ける人だ。2ー3年後にはきっと独立して、バリバリやっているだろう。
「これまでひどい面接をして落とされましたが、ここで勉強してだんだんよくなってきました」よかったね!結果はもうすぐだ。
「特にグループワークが自分のためになりました」将来社長になる彼は、組織や人のリーダーシップでは言葉が大事だとよくわかっている。どんな会社をつくるのか楽しみである。
「いろいろなこと教えてくれてありがとう」彼はベトナムのことわざをひとつ教えてくれた。1日先生になってなんとか(笑)というらしいが、要するに、ひとりの先生の大切な言葉を胸にもとう、という意味らしい。先生の言葉は大切だ。ぼくも気をつけないといけない。
「面接も履歴書も自信がつきました」心配、悩みはつきないけれどがんばりますと言っていた。そうだそうだ。がんばろー。
「講義は役に立ちました。自己分析、面接マナーもよくわかりました。自分の意見をもって話すことが大切だとわかりました」どうもありがとう。
「またみなさんと会えることを楽しみにしています」はい。
いつもよりホントにプレゼンが上手だった。やればできるじゃないか(笑)母国語でない言葉で、これだけできれば絶対に就職できる。だが内定が出ている子はまだなのだ。
今年は日本人には就活はしやすいと言われているが、母国語が日本語ではなく、しかも英語ではないアセアン留学生にとって、狭き門であるのは例年と変わりない。外国人を未だに敬遠する会社もある。しかし彼らの目を見てください。輝いている。澄んでいる。熱いものがある。そんじょそこらの日本人よりずっとずっと働き者である。ぼくからいうのもなんだが、会社にとってメリットばかりだ。ぜひ雇ってください。
最後に、今回の自分の講義は昨年よりも、一昨年よりも上手くなったと思う。MP研の方もそう言ってくれる。なぜかといえば「徹底した顧客視点」に気をつけたから。1回の講義で1行をー講義ごとに生徒に持って帰ってもらうものを絞り込んだ。ある人が言っていたが「教育とは自分の問題である」。教えるとは自分が育つことなのである。
ではまた下期、9月にお会いしましょう。
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