父の夢(当てずっぽう)

作文仕事が捗らないので机の整理を始めた。ウツとか落ち込んだ時、人はよく整理しだすという。ファイルボックスをガサゴソすると、なぜか父の戸籍謄本が出てきた。母が亡くなった後に取り寄せたものだろう。

父の出身地のことはよく知らない。戸籍には「昭和弐年六月弐日岐阜縣本巣郡西郷村大字上西郷六百九弐壱番地で出生 郷幸雄」とある。西郷村という地名をネットで調べてみると、岐阜県の西北部、明治30年に本巣郡が発足したときにさかのぼる。地図でみると美濃に近く、山あり川あり自然がいっぱいの地である。戦後の昭和25年、西郷村はとなりの七郷村と一緒に岐阜市になる。岐阜市には今でも上西郷、中西郷、下西郷、小西郷と〝郷〟が多い。あのあたりに苗字が郷の人が多いのはそのせいで、父の家もそのひとつだった。

昭和ヒトケタの寡黙な父が話した故郷の思い出を、心の隅に探してみた。ひとつあった。家が貧しくて年賀状が買えなかった。適当な紙に謹賀新年などと書いて、芋判を押して、山雪をかきわけて歩いて友達の家のポストに入れて回った。

父はほんとうは文系だったが、戦争の徴兵を遅らせるため、理系の学校に行った。戦後電気設備会社に就職してから東京電力にうつり、ダムや橋の設計仕事でほとんど家にいなかった。だから背中を見ることもなかったし、どこか近寄りがたくて煙たい存在だった。ぼくのすることや学校や就職に口を出すこともなかった。覚えているのは株式投資の話や、ゴマンと読んでいた経済小説や歴史小説の話くらいだ。

だからもしも生きていたら父と何を話したいかと聞かれても、何もないとしか言えない。と思ったがひとつあった。

自分の名前である。なぜ「好文」とつけたのか。

小学校の課題でも、母の言うままに適当に書いた気がする。しかしそこには父の思いがあったはずである。そう考えると、妄想が広がった。ぼくの実兄は「登」、のぼるというが、それは本当は「上る」だったのではないか。推理はこうだ。「故郷の村から東京へ上る」、そして「文を書く」というのが父の夢だった。

まあ当てずっぽうである。しかし今日も文を書くことに何千回目の絶望をしていた自分に課せられた父の願いだとすれば、もう少しがんばるしかない。

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