今朝、3時半頃に猫に起こされた。ぼくの肩をとんとんしてうにゃうにゃ言うので、お皿にカリカリを足した。食べている間、ぼくはデスクライトをつけて夢の中の着想を書き出した。ひとつは医師インタビューの原稿構成、もう一つは留学生の就活講座の講義資料である。
メモを書いているうちに猫がトイレで砂をサカサカさせた。あ、するんだろうか。昨夜12時すぎまで粘ったがしなかった。また便秘気味なのだ。砂場に行くとあった。「よかったねー!」とメいっぱいにゃごにゃごしてあげた。
それからまた寝たんだけども、起きたら8時前。寝すぎた…
めげずに原稿である。医師の原稿は今回も手強い。なぜそういう医師になったのか、業績を描くのでなく、業績を生んだ元を描きたい。出だしは決まった。だから書き出してみた。なんだか浅い。もう一度資料をおさらいした。書けるだろうか。まだ業績だ。踏み込めていない。夕方まで粘ったがギブアップ。買い物をしたあと就活講座の資料を作った。こっちはさらさら書ける。昔取った杵柄、積み上げた知識が成せる技である。
今日も原稿書けにゃかったな…と猫をじゃれさせていたら、昨日読んだ『猫の學校』の中に書いてあった二文字が浮かんできた。
包身、である。
「つみ」と読んで、人が成長するにつれて身につけてしまうもの。常識、世間体、平均の考え方、肩書き、資格、免許、学歴、年収、地位、名誉、評判、外見などなど。包身が重くなって私たちは自分を見失うと、著者の南野秀子さんは書いている。
包身が分厚い人を猫は嫌うという。ああ、そうかもしれない。猫は猫好きを装う偽善者を見抜き、もったいつけた人を敬遠する。猫は人の包身を剥ぎ取とろうとする。我がピノ子との1年はまさにそれだった。
包身を剥ぎにゃされ、されば書ける。ほんとうに書きたいこと、伝えたいことを素直に書けばいい。
写真撮ってないで遊べ…と言っております…^^;;
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