ボブ•ディランがノーベル賞よりもうれしいこと

2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英氏の話を読んでいた。CP対称性の破れという粒子と反粒子の話で、文系のぼくには説明の荷が重い理論だが、受賞の第一声が世間のヒンシュクをかった。

「大して嬉しくありません」

そう言ったのは三つ理由があったという。まず実績の順番から受賞するなら2008年だと見抜いていたこと。またこの時点で25年ほど前の論文での受賞で、モハヤ過去のことで興味がなく、新しい研究の方が重要だった。なるほどと思った。三つ目の理由もおもしろい。

普通の賞はまず「受けて頂きますか?」と問い合わせからくるのに、ノーベル賞は「決まりました」ときた。受けるのが当然、断る人なんかいない、この態度にカチンときました。

ピンときた。ボブ•ディランもこれでカチンときたのではないか。だから受賞後長く沈黙し、スピーチもビデオを送り、ごねにごねたのではないか。もちろん彼は元々〝反抗の詩人〟だが、昔のどの詩を褒められたかさえわからない表彰では、苦々しく思うしかなかったのではないか。

賞を授けるのは往々にして上から目線になる。何を褒めるか、どういうタイミングで褒めるか、その人が賭けてきたものとその賞は釣り合うのか。そこが大切だ。

たとえば先週のゴルフ大会で上田桃子選手は、3年ぶりに優勝して号泣した。ずっと勝てずに苦しんだあげく、今年勝てなかったらゴルフを辞めようと思っていた。つまり命を賭けた勝利だった。だから苦闘と涙と受賞が釣り合った。

褒め方は大それたことでなくも、日々大切にしなくてはならない。たとえば友人が何かの受賞したら、すぐに感想を伝えて褒めたい。我が子の満点テストや絵で花マルをもらったらすごいねーっと褒めたい。すぐに、その場で「すごいねー!」「ブラボー!」と。

ボブ•ディランが長い歌手キャリアを継続してきたのは、常にそれをもらえてきたからだ。ステージで情感を込めて歌えた時の聴衆の喝采である。目の前の何百人か何千人かがその瞬間に褒めてくれるのがいちばん嬉しいからだ。だからまた歌える。

ほんの少しでいいので、ぼくの尻尾も褒めてほしい…^^* こんなろくでなしでも必死で生きてきた。

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