夏への読書にうってつけ、5月病の湿った心も読めば晴れ晴れとする。ロバート•ハインラインの1956年作品『夏への扉』はSFの名を借りた冒険譚である。
舞台は1970年のロスアンジェルス。主人公の天才的エンジニアのダンは片付けロボット「ばんのうフランク」や、お掃除ロボット「おそうじガール」を開発して会社を設立、業績順調で発明に没頭しているが、パートナーのマイルズと自分の婚約者のベルにだまされて、会社を乗っ取られてしまう。開発したロボットも盗まれ、ヤケになって酒浸りになって、コールドスリープ(冷凍保存睡眠)に入る契約をして30年後の未来(2000年)で生き直そうとする。すんでのところで二人の策謀に気がついて立ち向かうのだが、ベルの知略の前にあえなくゾンビドラッグを注射されて、アワワワ…と放心状態になりコールドスリープに放り込まれてしまう。
そこから先の物語を書くのはヤボだ。こんな楽しい読み物はめったにないから。
よくもマア何本も伏線を張り巡らせてくれた。伏線のヒモはこんがらがることなく配置され、ひもくじのようにあれこれ引っ張らせて、最後にきゅっとと一本になる気持ちよさ。コールドスリープとタイムマシンの設定もうまくハメこまれている。とりわけコールドスリープがうまい。冷凍カプセルに入るのをやめようと決心したのにブチこまれる、そしてもう一度入るまでのストーリー展開は拍手喝采である。裏切りと逃避、絶望からの復活、アクション、経営と特許、イマドキのコンピュータやロボットの原型が予測され、偽の恋と真の恋も、そして猫も。要するにおもしろいものがすべてがパックされている。ベストSFのひとつと言われるゆえんである。
タイムマシンが出てくると、「ああアレか…」となんだか切なくなるものだが、この物語はそうならない。なぜならそこに人が描かれているからだ。つらい現在とどう立ち向かい、過去のミスをどう挽回し、未来で何をするか、格闘する人が描かれているからだ。その時間を超える道具としてタイムマシンだから許せるのだ。もうひとつ、猫である。ピートは人の言葉をしゃべるとか、コールドスリープでキャット缶詰になるとか、タイムマシンでアンドロイドにもならない。ダンと酒場でジンジャーエールを飲み、彼を爪とキックの力で救出しようとするが、なによりこの猫は、ぼくらがどう生きるかという扉を開けてくれる。
考えてみれば、今をなんとかしたい、未来を良くしたいというのは、過去のある時点でどの扉を開けたかによる。そこで夏への扉を開ける猫がカギを握る。
ハインラインのインタビューによれば、この作品の成り立ちはこうである。
コロラドに住んで居た頃、飼っていた猫が外に出たいとドアのそばにいた。開けてやっても出ない。なぜならドアの向こうは雪だった。おしっこがやりにくいのだ。それを見た妻が言った。
「猫は夏への扉を探しているのよ」
その言葉に閃いたハインラインは、妻に何も言うなとシィーっと命じて、小説を書き出した。13日目に出来上がった。
本書の最初のシーンに、ピートはダンの家にある12枚のドアを、ひとつひとつ開けるというのがある。一枚、二枚と開けても外は冬。ピートはどれかが夏への扉であると信じて疑わない。夏とはなんだろう。それは勇気を持つこと、現状を打開すること、幸せに向かうことだと思う。
ぼくの家にもピートがいる。ピノ子という名前をつけたが、役割はそっくりそのままピートである。ピノ子が来てすべてが変わった。それまでぼくも生きづらさばかりを感じていた。結婚は破綻、離婚もできない、借金もある、仕事は消えてゆく。過去を悔いることはないけれど未来に光はなかった。そこにピノ子がやってきた。
うちのピノ子もにゃあにゃあと扉に向かって言う。うちはドアは2枚しかないけれど、最初は出て行きたいのか、前に飼われていた裏のアパートが恋しいのかと思った。たぶんそれはちがう。ぼくに向かってこう言っているのだ。
扉を開けなよ。がんばればできるよ。できないわけがないじゃないか。
猫には不思議な力がたくさんあるけれど、そのうちのひとつは飼い主に扉を開けさせることだ。たとえ生きづらくても、引っ掻いて体当たりして飛びかかって、なんとか外に出よう。幸せに向かって走ろう。未来を変えるためにー
扉の上は涼しい…
※読んだのは新訳版だが、福島正実氏の翻訳版も読んでみたい。
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