外へ出る。

 猫のにゃっ、にゃっ、にゃっ、で目が覚めた。外に出たいようだ。外といっても寝室にする北側の部屋の小さなベランダである。その扉を開けてほしいようだ。明け方5時、曇り空だった。

 猫だって、いや猫だからこそ外に出たい。ぼくは出窓でこいつによく話しかける。おまえも外に出たいよな。その気持ちはわかるさ。隣の家の二階の屋根にすとんと降りて、裏手の一階の庇に降りて、汚れた壁に前足を添えてぽんとコンクリの地面に降りたいだろう。そうしてやりたいのだが、と話しかけるのだ。

 先日、知人が撮影して電子網上で見せてくれた野良(もしくは外飼い)がいた。錆び柄の猫だった。

 我が家の猫によく似ている。うちの猫も錆び猫である。前に「錆び猫は良い子が多いのよ」と言われてぼくはご満悦だった。そう言ってくれた人が、電子網の上で「あなたの猫、逃げたんじゃない?」と書き込んだ。ぼくは「まさか」と返すと、「実は姉妹だったり」「そうだったのか」とマア離れた場所なのでそれはないけれども、身体の錆び具合といい、尻尾の先が白いところといい、よく似ている。しかし猫が家の中だけで飼われるようになったのはいつからだろう。少なくともぼくが二十歳の時はまだ猫は外飼いだった。

 その頃、ぼくは家の外に出た。日本の北国で2ヶ月ほどウォーミングアップの泊まり込みのバイトをしたあと、オセアニアの南国へ長いこと旅した。さしたることはしなかった。英語不要のバイトをしたり、日本語でオッケーな職場で働いたりした期間の合間はいつも移動していた。どこに行くかは決めてなかった。何しろどこに行きたいかを探していたのだから。

 今覚えば、あれはぼくの反抗期だった。

 兄がケンカをして家を出て行ったのを見て気後れしたのだろう。ぼくは思春期に親と特段ケンカはしなかった。反抗期がなかった。その代わり、家や学校から逃げた。家出とか不登校ではない。心の中で壁を作ってそっちに行こうとしなかった。その代わり、海外に旅に出た。良く言えば成長したかった。何かを変えたかった。だが、そもそも変えるものを持っていなかった。1年後帰国してしばらくして父は言った。

「お前は外国に行ってからだめになったな」

 この言葉がずしりとひっかかった。ちがう、ぼくは成長したかった。何かになりたかった。どうしてそれをお父さんはわかってくれないのか。そう言えなかった。引っかかったおかげで、必要なことしか会話ができなくなった。おはようとかありがとうとか普通の会話ができなくなった。父から読んだらどうだと勧められた本はほとんど読まなかった。読む分野の本がちがうし、つまらなそうだった。いやそんなことではなくて、ずっと引っかかっていたからだ。

 そのうち父は二度ほど手術をした後、亡くなった。あの言葉だけが残った。もう確かめようもないとずっと思っていた。ところが今、ある親と子の話を書いていて、ある意味でドキュメントであるが、そこにぼくと似たような思いの人がいた。その人も、父のある言葉がずっと引っかかっていたが、2011年の津波があり、父の言葉だけが残ってしまった。父の通夜の夜である。その引っかかった言葉のことを葬儀に来た叔父に話した。あの言葉はひどいと。叔父は首を振ってこう言った。

「君のお父さんはそんなに細かい人じゃなかっただろう?何気なく言ったんじゃないかな。特に意味はなかったんだよ」
 
 ぼくの父もああ見えても(思慮深く見えても)、子供のことはサッパリ考えていなかった。考えても経済的なことばかりだった。だからシンプルにただ心配だっただけなのだろう。あの言葉に実は深い意味はなかった。ぼくもそう思うことにした。ただこういうことは話してみたかった。「こう思ったから外に行ったんだ」「そうか、お父さんはそういう時、こうしたな」「そうだったのかお父さん」

 そういう会話は父とはなかった。我に返ると、まだうちの錆び猫がにゃっ、にゃっ、にゃっと言っていた。出してやりたい。ベランダから外へと。扉を開けると冷んやりとした朝の風がぼくらに当たった。ぼくは猫を抱き上げて外を見せながら言った。

 外に行ってもいいが、その前に話し合おうじゃないか。

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