ピノ子とぼく

帰ってこないなあ。こうして窓の外で待つのはもう何日だろう。お腹すいたし、つかれたし。雨続きでさんざんだ。ごぉーって黒い四つ足のでっかいのも通る。かたい土は掘れなくておしっこもうんちもできない。マアおしっこうんちは掃除がいいかげんだったし、砂を蹴るとごはんに入たっし、3日も4日も帰ってこない日もあった飼い主さんだった。それでもうちはうちだ。今あたしは外だ。これからどうしよう。途方に暮れてたら上から見られていた。四角い小さな板をあたしに向けてる。ちょっと見にゆくか。どうやっていくんだろう。ぐるりかなあ、ひょいかなあ、ア!ひゅるっと道があった。とんとんとんと階段をのぼるとドアは閉まっていた。暗くなるまで待っていた。ようやく帰ってきた。痩せてるひとだ。にゃんにゃんと呼ばれたけど、そんな名前じゃない。しばらくするとドアがあいた。ふたつ器がおかれた。かりかりと水だ。ああ水っておいしい!かりかりはイマイチだけど痩せた背にも腹にもかえられぬ。次の次の日だったかな、2~3度ごはんもらったあと、ドアがあいていた。ぼくの頭の幅くらいだ。中をのぞくと靴があった。同じサイズなのでひとりもんだ。入っていいの?床は板だった。冷やっとしたけど外ほどじゃなかった。どんな人だろう。ニコニコしている。近づいて来るんで、ひゅっと外に逃げた。でもドアはあいたままだった。またのぞいた。いなくならない人かな。それは賭けだな。奥にゆくと小さいけれど猫砂トイレもあった。いてもいいみたいだ。賭けてみるか。あれ…ドアがしまった。

 その瞬間、錆色の黒猫はぼくの家の子になった。名前はピノ子とつけた。2016年6月22日だった。裏のアパートの一階の出窓にいた猫だ。そこの住人は猫を外に出していなくなったようだ。夜逃げ同然だったのは家財がそのままなのと、その数週間後に部屋を外からのぞいて懐中電灯で照らす人がいたので、確実だった。ひょっとしたら突然死かもしれない。1年近くたつ今もその部屋は空室である。

 ピノ子との生活を始めた当時、ぼくはニッチもサッチもいかなかった。

 仕事場の印刷会社は事業清算となり、別居はしたものの離婚できず調停不調、借金の整理もできない。希望という希望もなく、未来という未来もなく、人生の手足が縛られていた。そんな時にピノ子がやってきた。しかし最初は猫に屁っぴり腰だった。エサもトイレも試行錯誤、遊びもへた、付き合い方がわからぬ。まるで溺愛するあまり恋人を退屈にする童貞のようだった。しかし数ヶ月後、猫のベテランの知人からお墨付きをもらった。

「距離がよくなったね」

 最近、図書館に行った。読みたい本が貸し出し中で別の本を手にした。『猫のしっぽ』高田宏著。タイトルと猫の表紙に惹かれた。高田氏は大佛次郎賞もとった作家で、20匹も猫を飼っていた。その猫のエッセイを読んで、鞍馬天狗の作者の大佛次郎が猫好きだと知り、SFの猫の傑作本も知った。ぼくの読書欲を広げてくれた。

 とりわけ飼い猫の一匹、タマの話がよかった。タマは雄猫で若いおとなしい猫だ。ドジで気弱だが同居する牝猫のミノに惚れている。でもすり寄って拒絶された。ある日、ミノにサカリがきた。タマは衝動的にのっかったが、尻尾を貞操帯にされてカバーされ、つまり拒否された。ミノはドアに体当たりして脱獄して、外で好きな野良猫と性欲を解消してきた。妊娠した。お産が近づくとタマを呼んだ。タマに付き添ってもらってお産をして4匹産んだ。哺乳期を終えるとミノは子を邪険にしたが、タマは子をお腹に吸い付かせて嬉しそうだった。翌年、ミノはタマの子も孕み、産んだ。
 挿絵がまたいい。作家は高田宏氏のご子息雄太氏。中でも猫専用ドアの一枚が気に入った。

 ぼくも猫の話が書きたくなった。世には捨て猫や旅する猫、化け猫やエプロンした猫、逃亡者の猫などいろんな猫本がある。ぼくはどんな話が書けるだろう。ピノ子を見る。目があう。「コイツどこか出かけるのかな」と探る目をする。ぼくは「お留守番、頼むね」と出かけるが、寄り道をせずにナルハヤで帰る。玄関先でお出迎え、にゃーにゃーとすり寄って転げてくれる。

待っててくれてありがとう〜なでなでするよ。にゃおーにゃおにゃおみゃお(おかえり)。お留守番ありがとね。ピノ、いるから帰ってくるんだ、絶対帰ってくるよ。ごろごろごろうにゃうにゃ(わかってる)。お腹すいた?今あげるからね着替えさせてね。にゃあおん、にゃああおん(早く早く)。がっついて食べんなよ、また吐いちゃうからさ、ゆっくりゆっくり。にゅにゅにゅ(ごちそうさま)。

とマアこんな感じである。捨てられた体験ゆえの愛情不足。食べられなかった経験ゆえのガツガツ。ぼくとそっくりだ。似たもの同士、小さなアパートメントであと20年生きよっか。

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