福沢諭吉は始造の文明人であった。
彼は慶應義塾を造り、教科書を造り、教育法を造り、人材を造った。後に大学を造り、研究所や新聞社まで造る手助けをした。数々の日本初の〝造り〟を成し遂げたのは、咸臨丸でのアメリカ行き、その後の数度の欧州洋行による見聞を活かして文明開化をリードしたからではある。もちろんその前から外国書で知った事柄や科学も役立てたはずである。だが彼を「始造の人」に押し上げた根本には、反骨と独立心があった。
若くして、封建的な九州中津藩の田舎から長崎へ、長崎から大阪へ、そして江戸へ出た。それは学問への道だったが、自分の殻を破る修行でもあり、封建社会の壁を越える旅でもあった。彼は鉄砲玉のような冒険者であり、金もなく知己もなく、ただ向学心と好奇心が頼りで江戸に出た。まさに独立心旺盛だが、何から独立しようとしていたのだろうか。
どんな人も見下すことなく、どんな人も見上げることなく、旧弊な門閥圧制主義を嫌った。文明開国に向かう人か、それとも鎖国に留まりあるいは旧守するかで人を見抜いた。同時代の英雄たちー坂本龍馬、勝海舟、西郷どん、近藤勇、井伊直弼や徳川慶喜らが、攘夷だ開国だ佐幕だと、政治や戦で日本を変えることに血道を上げる一方で、福沢は政治や力で国を変える虚しさを知っていた。しょせん役人や政治家になって憂う振りをして偉ぶりたい人の自作自演の場だと見ていた。だからこそ文明人を造ることに執心した。
読了して福沢の有名な言葉、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」の意味が実感された。それは真の平等意識である。この分厚い古典がなぜ今読んでも新鮮なのか、それは〝お上〟を見上げ、政治に惑う日本人の性質が百年たっても変わっていないからである。その意味で本書は、個人の自伝を越えて、封建社会から自由社会へ開く〝日本の自伝〟にもなっている。
さらに近代初とも云われる自伝は、語りを文にしたことが興味深い。
速記者(矢野由次郎)が記録し、それを福沢が加筆減筆修正をした。口述筆記という方法を思い立ったからと云われるが、それだけではないだろう。語りをわざわざ文にする遠回りをあえてしたのは、近代的な文を造ろうとしたからだ。
読み始めると五七五の俳句のリズムに乗って切れそうで切れずに読ませる。テンポが心地よい。軽忽(きょうこつ=軽くトントン拍子にゆく)という形容詞がふさわしい文体である。あえて冗長な繰り返しもあるが、それも計算づくだと思う。ぼくは本書を『新日本古典文学大系明治編 福沢諭吉集』で読んだが、それは読点がなく代わりに1文字の空白が置かれ、句点のみがある。それが正本なのだろうが、それもまた独特なリズムをつくる。明治の古文ではなく現代の会話文に近い。彼が苦学して学んだオランダ語を捨て、英語に移るシーンを引用しよう。
詰る処は最初私共が蘭学を棄てゝ英学に移らうとするときに 真実に蘭学を棄てゝ仕舞ひ数年勉強の結果を空うして、生涯二度の艱難辛苦と思ひしは大間違いの話で 実際を見れば蘭と云ひ英と云ふも等しく横文にして 其の文法も略同じければ 蘭書読む力は自から英書にも適用して決して無益でない 水を泳ぐと木に登ると全く別のやうに考へたのは、一時の迷であつたと云ふことを発明しました
漢字が幾つかむつかしく、今日の意味と違うものもある(例えば発明したとは分かったくらいの意味である)。だがオランダ語を捨て英語に走った姿は、候文や漢文を捨て〝新文〟を造ったことに重なる。司馬遼太郎氏が「福沢諭吉は現代日本語を造った」とまで語ったのはこの点だろう。
構成も興味深い。本書の大半(約7割)は時系列で彼の足跡が語られる。後の3割は「雑記」を経て「お金のこと」「家風」そして「老余の思い」で終わりとなる。7割は自伝の形を借りた幕末から明治への歴史であり、残りの3割が彼の生まれや思想、すなわち自伝である。では「雑記」とは何だろうか。それは歴史物語から自伝に突入する〝幕間〟なのである。歴史と自分の実績の関わりをそこに書いて、最後の生まれや思いにつなげてゆく。なるほど福沢は文造りの天才でもあった。
余談だが、福翁自伝には史実から見て間違いがあり、言葉の使い方も違うなど指摘されることもあるが、だからどうだというのだ。歴史ではあるが史書ではなく、福沢が目撃し、関係した歴史物語なのである。誰かが決めた〝史実〟なぞに囚われると、本質を読めなくなる。本質とは何か。最後のくだりを引用しよう。
如何に百千年の余弊と云ひながら 無教育の土百姓が唯無闇に人に詫るばかりなら宜しいが 先き次第で驕傲になつたり柔和になつたり 丸でゴムの人形見るやうだ 如何にも頼母しくないち大に落胆したことがあるが 変れば変る世の中で マア此節は其ゴム人形も立派な国民と成て学問もすれば商工業も働き 兵士にすれば一命を軽んじて国のために水火にも飛込む
福沢が大阪から江戸にゆく道中、退屈しのぎに旅人を試した。福沢が偉そうに振る舞うと相手はへいこらし、卑屈に出ると相手はデカい態度に出た。それを「ゴム人形」と表現した。
我々はゴム人間になってはならない。時代を見抜き、どう生きるべきか考え、伝える目を持とう。本質とはその目を持つことである。『福翁自伝』は自伝の形を借りた永遠の教育書でもある。
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