ある文豪が奨めていたので『福翁自伝』を読み出した。これがいろんな意味でおもしろい。
分厚い本ゆえまだ福沢諭吉が大阪の適塾でバンカラぶりを発揮し、いたずらざんまいをするくだりまで読んだところ。勇敢で頭脳明晰な若者の立身ぶり、塾での医学や語学、科学の学習ぶりが凄い。アタマの方に気になる言葉があった。
「鄙事多能(ひじたのう)」である。
孔子の論語にある言葉で、鄙事とは誰にでもかんたんにできる些細なこと、多能とはそれを器用にすることである。
諭吉の家は貧乏だったから、障子や襖貼り、畳の表裏を張り替え、雨漏り治しなど日常のことができた。本ではそんな意味で書かれているが、諭吉は決してそのことを自慢しているわけではない。かといって儒教的な価値観を否定しているのでもない。諭吉は生涯この言葉を愛したそうだ。なぜだろうか。
諭吉は鄙事多能に「心事の高尚」「思想精密」という言葉を付けて語った。心が高く広く緻密であるという意味であり、鄙事多能とは正反対の意味にも取れる言葉がワンパッケージなのである。「思想精密鄙事多能」というように。それでハハンと思った。
諭吉は天下国家を論じ、慶應義塾大学を創設し、一橋大学や専大など教育機関や、北里研究所や東大医科研など研究機関創設まで手掛けた。まだ未読了ゆえ断言はできないが、彼の事業は大言壮語や絵だけの構想ではなく、隅々まで自分の思想を反映したのではないだろうか。例えば教科書や教授連や研究テーマや建築や道具に至るまで、細かく口を出すように。
現代のカリスマ経営者を見れば誰もが事業の隅々までこだわりぬいている。セブンイレブンの鈴木敏文しかり、ワタミの渡邉美樹しかり、ユニクロの柳井正しかり、スティーブ•ジョブズしかり。緻密さ、こだわりがあるからユニークになる。大きな構想に血がかよう。鄙事多能とは成功の条件なのではないか。
貧しいぼくはごくたまーにしか彼が財布に入って来ないが(笑)せめて文を書く上では鄙事多能になりたい。余談だがこの本を読み出した目的は〝語り書き〟という口述筆記の自伝文を学ぶためである。学習学習また学習です。
ぼくの学習を阻む猫がいる…
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