紙新聞を読みたいと思へど

なかば必要に迫られて朝日新聞を一部買いに行った。


先週の土曜の午後、自転車で遠い近所の販売店まで出掛けた。新聞販売ラックから朝刊を一部取ると、中でチラシ作業中のおばさんが出てきた。朝日新聞の販売店では配達新聞の種類が20以上あるのには驚いた。それでも経営はなかなかなのだろう。

一人住まいになって新聞を取らない。ずっしりとして、手が汚れ、綺麗に折れないのが紙の新聞である。だが政治、経済、スポーツ、社会…と世間をジャンル別一望にできるのがいい。日本語はやっぱり縦書きが読みやすい。広告もチラシもありがたい。読んだ後は梱包材料にもなる。

いいことずくめなのに発行部数はずいぶん減っている。

それは世の中の変化である。情報消費社会では情報を受けとめて反応する<素早さ>を競う読者ばかりになった。情報を追いかけて情報を追い越してゆく。そういう社会では最小でも数時間、下手すると数日遅れのニュースを伝える紙の束は邪魔者である。それはまるでゆっくりしか歩けない老人のようである。

ふと思う。紙新聞の効用とは人を立ち止まらせることにあるのかもしれない。

たとえば鮮魚市場はどうするべきか。やんちゃな北の半島国をどうすればいいのか。右傾化はどこまで押し寄せてきているのか。そんなことを紙の新聞は立ち止まらせて考えさせられる。一方電子は止まらない。ざっと伝えてぽんとわからせてコメントさせてバイバイである。電子は保存も検索もしやすいし、紙に固執するつもりはないけれど、紙の新聞で育ってきたことには感謝する。文がしっかりしているからだ。電子は文の品質がよくない。安かろう悪かろうである。

しかし紙の新聞、1部150円は高い(毎月4000円も高い)。

そこでコンビニや本屋や野菜直売所で、半日ないし一日遅れでも構わないので1部100円で売るのはどうか。なにしろ配達の方が高いのが当たり前なのだ。そこが逆転してきたのが、駅売りも売れなくなり、家庭でも取らなくなった理由ではないだろうか。

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