胡蝶の夢というタイトルの意味

ラストになって〝胡蝶の夢〟というタイトルの意味がわかった。自分と世間との境目がずれて、飛ぶことができなかった蝶のことだった。

司馬遼太郎著の『胡蝶の夢』を読み終えた。主役は医師松本良順であるが、準主役はふたりいる。一人が関寛斎で医師で立身出世や金銭を求めず、世の変化を達観して生きたスーパーマンである。もう一人が佐渡島出身の〝言語の天才〟島倉伊之助である。その才を活かしきれず、自身の性格によって崩れた人物ともいえる。次の一節は伊之助の本質を見抜いた司馬遼太郎の卓見である。

伊之助が遊びざかりのころに、祖父はかれを遊び仲間からきりはなし、納屋の二階の机の前に閉じこめ、上下する梯子を外したというのは、伊之助の成立を見るときに欠かせない要素かと思える。このことがかれに遊びへの飢餓感をうえつけ、生涯つきまとわせた。かれが成人後、ほとんど異常とも思えるほどに婦人との接触を繰り返したのは、幼少時の鬱屈や、成長のある段階の欠落と無縁ではない。

才を見抜いた祖父は、彼を閉じ込めてひたすら勉強させた。その勉強は記憶、暗記である。独学は蘭•独•仏•英•露・中の6カ国語を自在にあやつる才として開花し、医学の場での講義や通訳で活かされた。だが儲けたお金はすべて女郎屋で使いきった。人の心の動きがわからず、世間を泳げず、友達もできなかった。それもこれも彼に愛情が注がれなかったからだ。

まさに心療内科医ばりの見抜きである。今でいえば彼は発達障害だろう。医の視点から幕末の歴史を描いた小説であるが、松本良順といい関寛斎といい、伊之助といい、生の人間の心の動きがあるから、歴史小説の枠を超えて人間小説となった。司馬遼太郎の作品に永続性があるのはそこである。

医療者インタビューを書いているぼくにとって、ここを描かないとつまらない。なぜ医者になったのか?いやあ父譲りで…なんてことは書けない。人間を知ればその人が医療に何を投じたかがわかる。

余談だが、今日は胡蝶のようにぼくも飛ぶかと思った。頭痛がひどくて頭痛薬を飲んだら、頭痛をさらに誘発したらしい。まさに翔ぶがごとくー、ま…自分は蝶というより蛾だが(笑)

昨日訪れた神社の狛犬が夢にできてた…

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