Facebookのトモダチをたずねて

原稿修正の夜勤明け、千葉県の湾岸の町へ出向いた。我が郊外駅から電車で1時間半弱、五井というJRの駅に着いた。どこにもあるような駅前である。海の方向に向かって歩くこと20分、向かい風が冷たかった。沿道に小さな飲み屋が連なり、その一軒で向かう先の御仁も飲んでたようだ。途中のコンビニでおでんを買っていたようだ。スーパーで酎ハイや柿の種を買っていたようだ。御仁が投稿したFacebookの情報が、改めて確かめられるようでおもしろかった。

Facebookでしか知らない人の自宅を訪ねるのは初めてである。しかもすでに亡くなっている人を訪ねるのも初めてである。

御仁が独居していた住居を目指して、住所とGPSを頼りにゆくが、路地の細道に入ると心細い。通りかかった郵便配達の人に訊くと、右へ曲がって左へ曲がってまっすぐ行って神社の手前の…と教えてくれた。なんとなくその方向に歩くと、ほどなく御仁のアパートが見つかった。2階建ての建物には生活感があった。だがどの部屋の人も不在のようだ。ひっそりしている。御仁は猫を2匹飼っていた。捨て猫を引き取ったのだが、ベッドで御仁が亡くなった時、一匹は外へ出て誰かに知らせようとし、もう一匹は部屋でひたすら御仁を守っていたという。けなげである。こやつらと出くわして餌をやるのが主要なミッションだったが、人っ子一人、猫一匹、あたりには見当たらなかった。

2階に上ると御仁の部屋がある。失礼だが窓ごしにのぞくと、すでに部屋を片付けた後のようだ。亡くなってもう2ヶ月たっているのだ。廊下にも猫がたむろする気配はなく、長居すると不審者扱いされるので、持参した器にカリカリを入れてドアの前に置いた。もしも来たら食べておくれ。うちのピノ子の容器をあげるからさ。

アパートをぐるりと回ったところに神社がある。そこで御仁の冥福と二匹の猫の幸せを祈った。これだけのことなのに、ある方からお願いされてから、ずいぶん経ってしまった。誠に申し訳ない。

Facebookの投稿は何かを「盛っている」人が多いとも言われる。自分を盛り、仕事を盛り、財産を盛り、あるいは悲劇ぶりを盛る。まあリアルの友人にだって噓をつく人もいるから当然だが、それがリアルでない分、噓は軽い罪なのだろうか。重いのだろうか。クラウドの付き合いがリアルになる恐怖または落胆というのも、なんとなくわかる。御仁はその点あまり盛っていなかったのがせめてもの救いだった。

自分も独居だが、心臓発作か何かで突然死したら、ピノ子はどうするんだろう。きっと起きろ!遊んで!と顔や頭を引っ搔くのだろうな。ひょっとしたらそのショックでぼくは起き上がる。電池の切れかけたスマートフォンのスイッチを入れる。最後のひと言をFacebookに書き込む。「I’m gone!」 それで息絶える。なんだかさみしい。やっぱり愛する人に見守られて、手を握られて死にたいものだ。現実には、ザラザラした猫舌に舐められて逝くのだろうか。せめてピノ子がいてよかった… 余談だがピノ子には帰り道のダイソーで器を買ってあげた。可愛い花柄である。ピノ子ごめんね、器をあげちゃって。でも君のトモダチが食べてくれたら嬉しいだろう。


カランコロン…

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