御朱印帳の手づくりキットを60冊も注文して下さる方がいるから、猫の手をはらいのけながら包装した。腰が痛くなった。
これはかみのみかの〝特注品〟で、奉書紙の折りから自分で作るキットである。別に加工を寸止めして、糊付無しの蛇腹加工手前のセットも用意したい。職人にあれこれお願いするのがたいへんである。
いつもは決まった包装でそれは手慣れたものである。だが今回は特注なので、しばし悩んだ。結局B5サイズのビニールを使って、落ち着くところに落ち着いたものになって、まあまあ綺麗に包めたかな。包みながら、どんな人が手づくりをしてくれるのか想像した。それが包装の愉しみだろう。
さて、包むという言葉は幾つかあるが、「梱包」「包装」そして「ラッピング」とあげてみると、かぶるけれども違いもある。梱包は安全第一で運搬の衝撃に耐えるものである。包装は汚損を防ぎ、手に取らせるように良く見せるものだ。ではラッピングはなんだろう。
中身を良く魅せたい、贈られた人を喜ばせたり驚かせたい、中身を高く見せたい…要は贈る人のセンスや気遣いや期待を表す。費用をかけたり手間をかけたり、つまり贈る人の本音が出てしまうのがラッピングである。
ぼくは色彩センスはないし、細部を綺麗に仕上げるのが弱い。だから梱包でも包装でもバカがつくほどコンサバにやる。でもラッピングは違う。梱包でもなく包装でもなく、自分らしく伸び伸びとやりたい。
まずテーマを発想する。贈られる人が大切にする価値観、やりたいことから発想する。アイデアが出れば中身が決まり、外見も決まる。そのテーマに沿ってラッピングを買ってくるか手づくりをする。何しろ贈る相手はこの世でたった1人だけだから、そこに心をビームすれば何とかなるものだ。明日のことですよホワイトデー。添える言葉も一行決めた。
「ずっとあなたのXXの応援団でいたい」
さあ猫をあっちにうっちゃってラッピングの準備をしなくては…(^^
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