脱サラという言葉にはどこか浪花節を感じる。
アントレプレナーや起業という言葉に置き換えられて何十年だが、英語的には〝leave the rat race〟つまりネズミのレース=「競争社会から脱出する」という意味であった。決して優雅でのんびりとしたいという意味ではなく、会社内の出世や成功という消耗競争に疲れて、専門職になり地方にUターンし…という厭世的な意味もあった。昭和はかくもモーレツだった。
いやそれは平成も変わらない。「起業」はむしろ〝enter the another rat race〟つまり「もっと激しい競争に挑戦する」という感じがする。しかしなかなか成功できないので皆疲れてきた…というのが平成末期の現実である。
だが脱サラには「厭世」だけでなく「渡世」という意味もある。
今書いている原稿に脱•サラリーマンが登場する。彼はある医師の夢に共鳴して、医療機器会社を辞めて独立した。その医師が追い求める技術を実現する機器製造に賭けたのだ。商売上では製造者と購入者という関係ではあったが、お金のやり取りよりも夢を形にするやり取りが楽しかったのだろう。結局、大きな成功を収めた。
なぜ成功できたのだろうか。
まず「人に優しい医療をしたい」という狙いがよかった。今どきで言えば〝低侵襲〟というものだが、時代の流れにマッチした。また「医師の手助けをしたい」という思いもよかった。ほとんどの医療機器や医薬品は、医療という場で儲けたいからつくられているのだから、彼はかなり異質である。
お前がそこまで言うならオレは手伝う!古くはホンダや京セラ、ワタミなどにあった友情心酔型の起業である。「成功しそうな船に乗る」というドライさとも、ベンチャー企業によくある冷たさともちがう。サラリー(安定)を捨ててもついてゆく親分子分同士。昭和の脱サラのもう一つの典型がそこにある。
人情的脱サラが成功するとまで言えないが、お互い信じ合えることは、成功への唯一無二の条件である。
美人さん(–^^–)
コメントを残す