自由とは何もないところを気ままに行くことではなく、〝穴を通す〟ようなものではないだろうか。
ドクターズマガジン2017年3月号の本永英治医師への取材で勉強したことの一つに、宮古語がある。沖縄県宮古島に伝わる方言であり、今では若い人はほとんど知らないという。さらに沖縄本土の方言とも異なるし、他の島の方言とも異なる。その幾つかを教えてもらいいつつ原稿では、本永医師の宮古語での患者との対話も書いた。自分のお国の言葉で話しかけてくれる医師に、胸を開かない患者はいない。患者はありとあらゆることを診察室で本永医師に話しては、心をすっとさせて出てゆく。
方言には「 °」がつく語がある。「ぴ」や「ぱ」といった標準語で「 °」がつく語ではなく、たとえば「ぷどぅき°」となる。きに「 °」が付くとどんな発音になるか、聞いたが真似できなかった(笑)ぷどぅき°はどういう意味だろうか。本永医師はSNSでこう書いていた。
ぷどぅき°(自由)は一つの小さな穴にひとつひとつ糸を通す行為をいう。その行為は束ねた糸をひとつひとつ解いて穴をとおしていくことから名づけられたと考えられる。
宮古の織物は幾何学模様をつくるように織られる。その織り機へ数百本の糸を通す道具があって、それを宮古語でぷどぅき°と言うそうだ。
小さな穴に糸を通すことが自由だというのは象徴的である。自由とは何もない大海原や大空を思い浮かべがちだが、そうではなく「小さな穴」であるという。
言われてみれば自由な仕事は少ない。自由に仕事をできる身分になるには何年何十年の修練が必要である。自由に暮らすことも親類縁者や世間の目があって敵わない。自由になるお金を持つのもむつかしい。自由に恋することも本当にむつかしい。
自由とは狭いもの、一筋の光を通すピンホールであり、一縷の望みである。だからこそ誰もが求める。狭い穴を抜け出るのが困難であるゆえに自由が快感なのだ。
うちでは宛名書きでさえ自由にさせてくれない…
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