人間とは生命維持するだけの存在であるかどうか

奥医師の松本良順が徳川慶喜の治療をするシーンは圧巻である。

司馬遼太郎作の『胡蝶の夢』の読書も後半まできた。医師ポンペがオランダに帰り、ポンペ医学校の人びとが各地に離散するとつまらなくなった。だが松本良順が再び出てきて物語が締まってきた。京都にいる慶喜公(まだ将軍ではない)が心身の不調を訴えた。当時27才の若者である。古タヌキや幻惑キツネだらけの幕末に公務ができないほど消耗し、不眠になった。呼ばれたのが松本良順である。江戸から京都へ海路で船酔いしつつゲロゲロとゆく。共にするのは石川という医師で堅物である。石川から聞く慶喜公は「家康様以来の人物」である。

慶喜のもとに着くと、一週間一睡もしていない、酒も煽るように飲み、便秘もきつい。そこまで側近に聞くと松本良順は診察にゆく。慶喜は人相が悪く、目も濁っていた。

「よほどお疲れ遊ばされましたな」と良順。
「眠っておらぬのだ」と慶喜。
「お気の毒です」
「(そんな言い方をするとは)そちは行儀が悪い男だな」
「行儀だけでは医者はつとまりませぬ」

良順、実にかっこいい。いったん下がって薬を処方する。「何を?」と聞く石川に良順は言った。

「阿片を用いる」

石川は唖然として、猛反対した。阿片は危ない、死んでしまうと。だが良順は「熟睡第一」と押し切る。慶喜は飲むと倒れたように寝だした。翌日、往診するとまだ寝ている。昼過ぎても起きない。心配した石川が言う。「医師は生命さえ救えばいいのだぞ」良順は反論した。

「人間とは生命を維持するだけの存在であるかどうか」

つまり良順は、慶喜という天下を治める器を認めて、温泉治療などヤワなことをせず、公務をギリギリの状態で遂行させるために強い薬を盛った。慶喜は夕方6時に起きて、肌はつややかに、気分爽快になり、戦う気力をもった。

医師という職業の本質がここにある。患者の資質を見抜き、希望を見抜き、処方を決める。病気への戦い方はひとつではない。真の医師は治癒というゴールを授けるばかりか、プロセスまでも処方するのである。司馬節、実に勉強になる…(^^*

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オマエ、遊びがたりんぞ…

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