なぜ電子メールはcoolなのだろうか?

かつて電子メールがおとーさん達にも普及しだした頃、IT系の師匠が「非同期」という用語を教えてくれた。「自分の都合でいつでも読める•送れる」機能だという。なんですかそれ?と訊くと、送る時間と読む時間がズレても構わないから便利だと…

以来確かに「便利だな」と思ってきたのだが、いつからか「そんなことはない」と思うようになった。まず「自分の都合」というのがくせ者である。

電子メールのチェック頻度にもよるが、送り手によっては「高頻度」を期待してくる。我が先輩も「来たらすぐに返信」を励行しており、それが仕事を捗らせるコツだと言っていた。ぼくもなるべくそうしている。

つまり「いつでも」というのは自分の都合ではない。「いつも」または「すぐに」返信せよと言われているのだ。返信しないと落ち着かないし、中身を読まなくても最初の数行が見えてしまうし、要するに、ただ気ぜわしくなるだけなのだ。

もっとひどいのは夜中のメールである。

日本電気のあるSE女史、かく語りき。「朝、プロジェクトメンバーからメールが届いているの。送信時刻を見ると午前3時。あーヤバい徴候だなあ…と思ったら、案の定、彼は出社してきません」

午前3時でも「送れる」のがいけないのだ。送れなければ送らない。寝て悩みを翌朝、すっかり忘れている。だが送れるから送ってしまう。悩みがさらに深まる。だからウツになる。「いつでも」は良いことではないのだ。

しかも電子メールは往々にしてcoolになる。かっこいいという意味じゃない。冷却の方である。もらったメールで何度かオチた。どうしてこんなことを書かれるのか?そんなに才能がないヤツなのだな自分は…と思って、布団の中で発狂する。ま…か弱いのです(^^;)

ふと思いだす。電子メールの黎明期に、あるおとーさん(元上司)にメールを送ると、返事はすこぶるシンプルだった。

「了解」

2文字である。これこそcoolである。かくありたいと思う。

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猫にはメールがにゃい…うらやましいにゃ。

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