ぼくもよく「絵にしなさい」と言う。だがそれに深い洞察をしたことがなかった。
司馬遼太郎の『胡蝶の夢』の前半を読了した。幕末の長崎で、オランダ人ポンペが医学を教え、病院を造るまでの物語がダイナミックである。色々突っ込み所はあるが、医師のライターとしては解剖のシーンに惹かれた。
安政6年、死刑の遺体を45名の医師と一人の女医(シーボルトの遺児イネ)に見学させて、ポンペは金髪を振り乱して腑分けをする。46名の眼が凝視した。斜視の伊之助は覆いかぶさるように見た。それをポンペは不思議がった。
日本人のスケッチ癖については、あきれたり、感心したりして、 一時は考え込んでしまったらしい。物そのものを見て満足するだけでなく、それを絵にしたがるのである。
誰もが腑分けの絵図を上手に描くのだ。日本人は視角教育に適する特性を持つのだと、ポンペは思った。
そういえば国立医療センターの展示室で見た明治期のカルテも絵が上手だった。現代の医療現場でも多くの外科医が「絵を書け」と口を酸っぱく言う。「書いてこそわかる」と言う。ぼくも医師のスケッチを見て驚嘆したことがある。
なぜか。司馬遼太郎はそれを「大きく言えば日本文化の成立の機微に関わる」という。
四海が海の日本では、中国文化からの渡来物が〝世界〟だった時期が長い。漢文や絵画や壺や植物図版を「穴があくまで見て」、想像をたくましくして、理解を究め、模倣していった。絵から蒸気船まで造った。絵ではないが、蘭語も英語も独語も本から学んだ。文字から発音を想像したという。
日本人の描くは、一度頭の中で分解するのである。描き上げた後、再度組み上げる。これが日本の競争力であることは間違いなさそうだ。現代中国や韓国がしてきたのはモノを分解してまねることだろう。そこに産業の強さの質的な違いがあると思える。
だがコンセプトや論理からモノを生み出せる国民(代表は米国)ともちがう。このがあたりが、モノが行き渡った成熟社会で日本がずっと不況をかこっている理由にもつながる。
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