鬱懐から気を取り直して司馬遼太郎を読み出した。
タイトルは『胡蝶の夢』、1980年頃に出版された幕末から明治期の医師を主人公に据えた歴史小説である。なるほど小説とはこう書くものか、と目をみはらされた。まだ読み出して1/4くらいなので、内容の紹介や感想はさておき、思ったことをいくつか。
司馬遼太郎の物語の秘密は三層にある。
•人
•社会
•歴史
人物造形はさすがである。ここまで描くかというくらい叩き付けて描かれる。良く読むと「型にはめている」のもわかる。江戸時代の旧弊なる人びとと、新しい時代を生きる人。その時代の医者がどういうものかまず典型を置いて、それに対して主人公たちがどういう距離があるのかと描いてゆく。それは行動描写、心理描写を重ねてゆく。
さらにそこに人間関係をかぶせる。およそ人間とは他人との関係(敵か味方か、好悪)で存在している。人がいやらしいほど正直に表れる部分を、人間との関係からしつこいほどに描く。だから人が浮かび上がり、動き出す。その歴史キャンバスに社会の規範や習慣を足してゆく。
この物語では江戸から明治への価値観の転覆である。明治まで日本には人権も自由思想もなかった。大きな大名を崇めてたてまつっていた。意識ある人びとはその旧弊な社会に鬱懐(うっかい)している。〝異国〟の船の影や医療が入り込んできて、時代に穴をあけてゆく。
いわゆる司馬史観というものがどういうものか書けるほど、彼の作品を読んでいないが、ぼく的につかんだのは、人と社会と歴史をすべてを包み込んで、史実に基づいたイマジネーションを描く、それが司馬小説である。
久々に読む司馬遼太郎の作品、自分がどのように感じるのか興味があった。決して不遜な意味ではなく、『坂の上の雲』を読んだ頃と比べて、自分が成長できているかどうか。答えは見つけた。小さな文が書けなく鬱懐している場合じゃないのである。
うんぎゃ。今日は花粉がつらかった…^^;
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