親の言葉は死んでからも生き続ける。
なぜぼくが恋下手で、結婚も失敗したかといえば、自分の気質ないし性格ないし習慣、甲斐性もなく見た目も見るところなしなのは、重ね重ね承知した上でいうのだが、それだけではない。最近になって、あの親のひと言が効いていると思い当たった。母はかつて何度も言ったことがある。
「ほんとうはあの人ではなく、あの人の弟と結婚するはずだった」
弟はダンディで、何しろ後に美大の教授職をして、温厚で優しくて思慮深い人だった。ついでにその妻(つまり叔母)も優しい人だった。
そう言われてみると、趣味もなく、歴史小説ばかり読み、競馬やパチンコの賭け事もして、株式投資や経済経済と小言のように言う父より、よっぽどぼくの気質には合う人だった。昔は「この人と結婚しなさい」と誰かが決めていたから、駆け落ちでもしない限り、燃えるような愛は世間を見回しても多くはなかったのだろうけれど…
その言葉の通り、母は父をちっとも愛していなかった。弟と結婚したかったのかもしれないし、慶應幼稚舎の先生までしていたくらいだから、他にいたのかもしれない。面と向かって聞いたことはない。
だからなのか父も何度も言っていた。「サラリーマンの分際で山手線の内側に家持てるなんてないこと滅多にない」と。母もその家と、専業主婦でいられたことと、儲からない自営業みたいな自由を「ありがたい」と何度も言っていた。だが愛してはいなかった。そんなふたりからぼくは「負の結婚」を知らず知らずに刷り込まれていた。
ふと、ぞっとした。ぼくもまた自分の子供たちに、「負の結婚」を伝えていたのではないか。きっとたくさん負の言葉を放っていた。まさに負の連鎖、親の言葉は子供の心にしっかりと残る。
そういうことがわかってきたのも、心療内科の先生の文を書かせてもらったからだ。自分が見えてくる本、ようやく本格的な営業活動に入りました。
ピノ子のことは愛しているよ。
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