個性はどこにある?

ぼくの文は個性的と言われる。褒め言葉か、あるいは警告なのだろうか?「大変感性ある文章」とつい最近も言われたが、実は、後者であるような気がしている…

「個性を伸ばせ」「オリジナリティを発揮せよ」などと誰が言ったのか?それよりも「共通了解」を広げることだ、と養老孟司氏は『バカの壁』に書いている。

たとえば混んだ銭湯で「泳ぐ」とか「沈む」という個性を発揮されると困る。皆ただじっと入ればいい。ペルシャ語で講演されてもわからんし、沖縄宮古語でニュースを読まれてもわからん。共通性を発揮し、理解し合えるために、言語の論理と文化、伝統があるのだと養老氏はいう。それじゃあ「個性的でなくなる」という不安も、養老氏は一蹴する。個性はハナっから誰にもある、肌や膜や肉や骨や細胞はその人のものだと。ほらイチローやゴジラ松井を見よ、彼らを誰もマネできんだろうと。そらできんて(笑)

養老氏の言い分を突き詰めてみよう。

混んだ銭湯でも相撲取りなら、わざわざ個性を発揮せずとも溢れ出すお湯で発揮している。実際近所の銭湯で、琴奨菊の相撲部屋の若手が、湯船で個性を発揮するのを目撃した。あれで同じ料金なのか。それはともかく、個性とは身体的なもの、大きさとか顔のつくりなのは、まちがいなさそうだ。もう少し比喩的に言えば「外側」である。自分の外側にあるようだ。外側とはどこか?

野球の打者であればボールを打ち返すのは共通している。だが同じボールでも、どう打つかは違う。どこに飛ばすかも違う。つまり個性とは「過程」で差が出るのである。文章で言えばゴールは「相手がわかる/感じる」で共通している。その過程で「どうわからせるか」が個性なのである。

個性とは相対性理論である。人びとの中に入り、人びとと比較され、引き合ってまた反発し合って、初めて「個性」になるのである。わかってくれる人が増えてこそ、個性ができる。ひと言でいえばー

個性は相手の中にある。

fullsizerender239

われは目玉オヤジ猫か…

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