猫時間

翻訳作業をやめて、「松方弘樹が死去」というネットニュースを読み出したら、ポンとピノ子が降りてきた。

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ディスプレイの真向かいに押入れがあり、上の段に2段衣服ケースを積んであり、その上に布団と毛布がのせてあり、冬はその押入れ毛布で寝ていることが多い。そこからぼくのやっていることを見ている。ディスプレイがYahoo!や朝日新聞になると、ポンと降りて来て「あそぼ!」と言うのだ。

仕事ひと段落?いやいや…まだまだなの。集中力がないだけ…^^;;

先日来、初めて読む小説家の短編集がある。中編集かな。今も存命の、たぶんぼくと変わらない年齢の方なのだろうけれど、なんだか懐かしい雰囲気がある。長く途切れのない文体で、何かが起きていて起きてないような生活風景描写があり、対話がある。最初に思いついたのが「意識の流れ」であった。

その19世紀文学上の意味も忘れたが、とにかく物語には何か時間が流れている。人の心?人生の?まだわからない。感想文は読み終えてから書くが、ひとつ気になったのが「猫」である。

その作品の主人公が暮らす町は、都会の大通りから数十メートル外れた昭和の残照の路地である。そこに野良猫がいた。アパートの近くにいた白猫に主人公は餌をやりだした。水もやる。猫は主人公がいる時は近寄らないが、遠ざかると食べて飲んでいる。それが何週間、何ヶ月も続いた。すっかり懐いた。しかしある日、白猫は道路に礫死体になっていた。車にはねられた。

死ぬのを看取れると思うから飼うのか、そんなことは考えずに飼うのか。そんな会話も物語の中にあるのだが、ふと、このつかまえどころのない小説には、猫の時間が流れている、と思った。

猫時間とはどんな時間だろう。人に依存する時間もあれば、人を依存させる時間もある。たいていは寝たり、外を見たり、考えたりしている。だが猫時間は、ほんとうは人間も持っていたのかもしれない。現代というものは人を猫時間で生きさせないものだ。

どうやら感想文の糸口を発見した。ではまた翻訳だ。

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欠伸すんなって。

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