例によって文に悩んでいる。ウトウトした指がクリックすると、谷川俊太郎のことばに当たった。
ぼくも若いころ、読者のことってあんまり考えませんでしたから。
でも、ことばっていうのは、つねに、受け手、聞き手がいるわけだから、
幼いころから、なにかを書いたら、「これ、読んだ人はどう思うかな?」
っていうふうな問いかけも必要なんじゃないかなと思いましたね。
この一節を『ほぼ日』のサイトで読んで、そうか!あの本を読もうと閃いた。カーリルで検索してから、近所の図書館に自転車を走らせた。
10数年前の超ベストセラー『バカの壁』である。なぜ本書か?二つ知りたいことがあった。何を隠そう読んでなかったし(^^;
A)本書は養老孟司が語った言葉を文にしたそうだが、その文体はいかに?
B)どうして売れたのか
A)については『「話してもわからない」という例を大学で痛感したことがあります』という書き出しは秀逸である。だがそのくらいだ。語り文がもっと養老さんぽいかと思えばそうでもなかった。B)はどうか。
この本が売れたのは「世界や身の回りで起きていることがわかるから」である。要するにバカの壁を(少し)壊して、「わかる」ことをわからせてくれるからだ。
そういう効用があるとして、ではぼくが今書こうとしている文は、どういう効用がある?と自問した。すると…効用が見えない(^^;)いかんよ。小説なら多義性があってもいいけれど…いや違う!小説こそ「楽しめる」というクリアーな効用がなくてはならない。
だから〝プロ〟に徹することにした。まず効用を決めた。それに従ってどんどん章を作っていった。するとクリアーになってきた。ことばの「つかみ」が見えてきた。構成は悪くないが8割程度だ。あとは書いて修正を入れてゆけばいい。問題は「書く語りき」すなわち語り言葉文である。ひと晩寝ればヒントが降りて来るだろう。ことばの向こうにいる人が読めればそれでいい。
Amazonの箱ぶネコ
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