理系と文系

受験シーズンに改めて〝学部〟を考えた。がん研究の本を読んでいたら、こういうくだりがあったからだ。

自然科学を数学、物理学、化学、生化学、医学と分けて考えたとき、数学を別にすれば、 研究の成果は最も基礎的な学問である物理学から順次に化学、生化学、医学へと流れていく。(『がんはなぜ生じるか』講談社)

物理の世界で生まれた量子力学が、化学の世界で量子化学となり、物理で確立されたX線解析の方法が、DNA解析に使われて、遺伝子医学の発達となった。つまり理系では物理>化学>生化学>医学という序列ないしピラミッドがある。ついでに言えば工学も下の方だ。

ニュートンが常々「神様、あなたは存在している!」言ったように、自然科学とは「神が造ったもの」すなわち自然法則を読み解き、解き直す学問である。ゆえに下にゆくにつれて「ヒトに近づいてゆく」。数学や物理学が純粋思考で支えられているのに対して、医学は後世になればなるほど、膨大な知識を覚えることに翻弄される。医学は人への応用学問なのである。

一方文系はいかに?それは「人が造ったもの」を知ることだ。

法学は法律を学び、政治学はマツリゴトという支配を学び、経済学は富の分配を学び、経営学は富の不公平を身につけ、教育学は生徒という我慢と忍耐を知る学問である。いずれもヒトがこしらえた社会ルールを知り、作り直す学問である。理系ほどピラミッドが明確ではなく、むしろ「隣組」ー政治経済や教育心理などーがある。強いて言えば教養学部が頂点だが、なぜかうなずきにくい。〝教養〟という名称がいけないのだろうか。

あたまが良ければ上位学問に、それほどでなければ下位学問にゆくとも言えるが、「あたまが良い=幸せ」とは限らないし、儲かるとも言えない。ただ学問には「神に仕えるもの」と「人に仕えるもの」があり、ピラミッドや隣組があると知った上で、学部を選べばいい。それが適性を知ることであり、上下左右を知っておくと、研究や仕事の突破口ともなる。

かくいうぼくは〝芸事(げいごと)〟という最下層にいる。そこから言葉の神様が降りてくるのをいつも待っている。

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君は高みにいる…

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