アングラの旗手たちへ

根津甚八は紅テントからメジャーに転じて成功した俳優だったが、どこかアングラがあった。そう思うのは昭和人だけだろうが…

70年代後半、小林薫と共に劇団状況劇場、通称〝紅テント〟の2大スターだった根津甚八を、ぼくは1度か2度池袋でナマで見た。妖しい記憶によれば大学入試の前か後だった。時は1970年代の終わり、調べてみると確かに2度やっている。

1978年4月:『ユニコン物語 台東区編』大阪•京都各地、池袋びっくりガード横
1979年11月:『青頭巾』花園神社、新宿住友ビル前、池袋びっくりガード横

池袋のホテルコスモポリタンへ行くガード下から脇へ逸れると空き地があった。国鉄の所有だったはずだ。そこに紅色の大きなテントを張り、桟敷の客席と舞台に李麗仙、麿赤児らとの競演だったと思う。「ジンパチィ!」と声がかかったな。紅テントの興行を見た帰り道、不思議な力を得て、ガード下を走って帰ったのを覚えている。

唐十郎というアングラ演劇の旗手が、1969年に新宿で機動隊の出動の騒動の後、2大スターを得て再び輝いた時代である。あの頃の昭和を唐はこう総括している。

映画、詩、美術、音楽の四つのジャンルがいつも競り合って、競争し、影響し合った。映画は映画だけでもって台頭したんじゃない。演劇だけが台頭したんじゃなくてみんな競争し合って、影響し合って出てきた。(『証言 日本のアングラ』作品社)

そうだな、と思った。『イージーライダー』などニューシネマ、ボブ•ディランのフォークやロック、ポップアート、ワケがわからなかった現代詩(笑)文化は都市地下を縦横無尽に走る地中ケーブルのように結びつけ合い、挑発し合っていた。そのエネルギーは〝アングラ〟という青い衝動であった。

今の時代がどーこーとは言わないが、人とナマで交わることを避ける電子デバイスや電子メディアの時代から、1960年代のアングラを見ると、どっちが正統的な刺激かは言うまでもない。唐十郎もこう言っている。

「そこ(電子時代)から脱出してこっちに来い」って言いたくなるんですよね、僕は(笑)(同著)

根津甚八は先にかっこよく脱出した。ご冥福をお祈りして。

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