ものになる

「ものになる人」という言い方がある。その「もの」とはどういう字をあてるのか。

日本語の「もの」は、なかなか曖昧で何を指しているかわからない時がある。文の中でも既に名詞があるのに、「〜というもの」とわざわざ付ける場合がある。外国人にははなはだ分かりにくい。白洲正子氏だったか、「もののあはれ」という言葉を引いて、「ものとはあはれを知る日本人」と書いていたような気もする。その記憶は朦朧だが、いかにも「もの」とは広い意味があるのはわかる。

そこで考えたいのが「ものになる人」の場合の「もの」の当て字である。

「物になる」:辞書としては普通はこう書かれる。物=thingとするとどこか物質主義的な匂いがして、人間っぽくない感じもする。

「者になる」:こちらの方がこの用例では正確だと思う。一角(ひとかど)の者になるというくらいだから、医者になる人、記者になる人、忍者になる人…要するに一種の専門家である。

「ものになる」:平仮名で書くと化け物のもの、「もののけ姫」のような憑依するもののニュアンスも出る。それを良い意味で言えば「魂」に近づいてゆく。

つまり人はいろんな「もの」になる。物質主義者にもなるし、専門家にもなる。もののけにも、魂のある人にもなる。自分をどういうものとして見るか、人をどういうものととして見るか。人生の中でどういうものになってしまうか、どういうものになろうと心がけるか。すべて「もの」次第なのである。

そこでぼくは「小さきもの」に目を向けたい。

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小鳥達は自分のすること、できることを素直にやれる存在である。そこにいて心を和ませてくれる存在である。

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流れに逆らわずに素直であるもの、ありのままのものになりたい。小さくても微動だにしない心の重心をもつものになりたい。

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