今年もあと2週間を切った。昨日訪れた図書館でも、読書人が年末年始の備えをしていた。10数冊の〝ブックタワー〟を妻に持たせ、夫が車のドアを開けていた。日曜日から借りると年末年始は休館なので、約3週間ほどの貸出期間がある。読書三昧を決め込むのだろう。
かくいうぼくも4冊借りて、あと1冊取り寄せ予約をした。手元に1-2冊あるので少なくない読書だ。白内障を患って以来読書がつらくなり、治療後も怠慢をしていたが、最近読書欲に火を点つけられた。本は本の導火線になる。知識は知識を招き寄せる。
ある作家に興味を持って彼/彼女を数冊読む。それを〝垂直読書〟と言おう。それに対して知識の波紋を広げてゆくのが〝水平読書〟である。
どういう時に水平読書は発生するか?
その本がきっかけで、あるジャンルに目覚める。『父の詫び状』(エッセイ)、『Xの悲劇』(推理小説)、『一瞬の夏』(ルポルタージュ)なんかはそうだった。経営は『戦略サファリ』から、『コンサルタントの秘密』からは理解の技術が広がった。文章修行は『名文を書かない文章講座』から、古典は『風姿花伝』から。他にもあるだろうけれど、水平読書の起点になる本はそう多くないものだ。何しろ〝起点〟だから。
では水平読書の効能は何か?
それは「知識と知識はつながっているのを理解すること」である。人でつながり、業績や技術や原理でつながり、背景となる世相や事件でつながり、ビジネスや宗教とつながる。実は脳内シナプスのネットワークのようにつながり合っている。だから知ることが導火線になる。
そして巡り巡って、ぐるりと起点に返ってくる。その時、何のために知への旅をしたのかわかる。それは自分を知る作業だったのだ。自分らしさを掘り起こし、それを世の中に返すためにやっていたのだ。
さあ気づいたら読みたまえ。そしてやりたまえ。
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