生への畏敬には及ばない…

インタビューした2人の医師が立て続けに「シュバイツァー」と言った。

この偉人が牧師であったことさえ知らず、バッハの研究者でありパイプオルガンの奏者で普及活動までしたとも知らなんだ。だが医師達は彼を崇めて医師になる道を歩んだ。だから偉人の『わが生活と思想より』を読んでみた。

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医療活動は本書ではさらりと書いてある。それは別の作品を読んでみるが、本書の白眉は彼の生涯の行動原理となった「生への畏敬」である。伏線はイエス伝の研究にある。その記述の中で次の一行があった。

「生命を得る者はこれを失い、わがためまた福音のために生命を失う者はこれを得べし」

その行の上に、ルカによる福音書の23と〝メモ書き〟がある。図書館の本はこういう配慮がうれしい。

宗教者としての蓄積の上で、原始林で医師になる決心をして、30才から医大に学び、38才で医学博士、アフリカ西海岸のガボンに着いた。医師として働くうちに戦争(第一次世界大戦)が勃発し、仏領にいたシュバイツァーは戦乱に巻き込まれる。世界が戦争や貧困や医療不足にある中で、世界人生をどうしたら肯定できるか、考えに考えて考え疲れた。診療に行く船に揺られ川を下る。甲板に立って風に打たれていると「生への畏敬」という言葉が降りてきた。これが行動原理となって医療や講演活動を行いノーベル平和賞を受賞した。

さて自分は行動原理の言葉を持っているだろうか?

ぼくは「ことば」が標語である。だがそれは行動原理というより「行動道具」のようなものだ。「編集」や「校閲」よりは源に近いが「歌」や「絵画」といった表現媒体である。だからうーん…と一晩考えた。シュバイツァーのように丸一年悩んでいない。たった一晩である。だから眉唾だが、降りてきたのはこれ。

「誰かのために」

誰かのために書く、誰かのために働く、誰かのためにがんばる。猫と遊んでさえやらない自分を戒める言葉なのである。明日は忘れるかもしれないから書いておいたのだ(笑)皆さんも一晩考えてみませんか。

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