のどかなお堀をぐるりと歩いて、国会図書館に行った。
医師のインタビュー原稿の「下地」を造るため、医師の業績論文や出版物をチェックし、さらに医師の土台のひとつ専門書の原著も見た。5cmもの厚さ、さすがに土台である(笑)ひと段落して、その医師のもう一つの土台=知識欲をかきたてた人、「昭和の知識の巨人」の著書もめくった。
その中にこんな記述があった。書き取ったわけじゃないので正確じゃないが、ファラデーは自分の本で自分のこと「彼」と書いていたという。
それが心に残った。なぜだろう?ネットで情報を探した。だが他にそういうことを書いている人が見つからなかった。本にそう書いていた人は、ファラデーの本の翻訳もしているので間違いはないはずだ。
叩き上げの科学者と言われるファラデーは、貧しく生まれ、数学を知らず、名誉もお金も求めなかった。巨大な実績に似合わず、貧しいまま亡くなった。だが実験には素材はもちろん道具から白衣に至るまで厳密であり、実験記録は覚え書きをして、細かく文にして、論文にした。そこから新しい事実の種を見出し、ファラデーの法則にしていった。あたかも論文を読む人が、実験室にいるかのように緻密で具体的でおもしろく感じた。
ファラデーが自分を「彼」と書いた理由はこうだと思う。それだけ自分を客観視することができた。科学的だったのだ。昨日のブログにも書いたが「対自存在」として自分を見ることができた。だから知識への引き金を一生涯ゆるめることなく、大きな業績を挙げることができた。真の巨人であった。
そんなことを図書館の帰り道考えていたら、不吉なメールを受信した。「トラブルです」…原稿のことだ。書き直せ指令である。だがファラデーの生きざまに打たれていたぼくは、大きな器を心に抱いていた。大丈夫さ!
Facebookにもお仲間がいた(笑)ではトラブルの火消しに入ります…(^^;;)
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