人を描く:雲からの連想

曇りとは雲の下のことである。太陽はいつもそこにいる。

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某地方に出張のため機上の人となった。富士山が主翼の上からぽっかり見えているのがわかりますか。アタマを雲の上に出し〜♪失礼しました。

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富士の遥か上空1万メートルを飛行中、「あっ」と思った。雲の上には青空がある。だが雲があればその下は曇りである。当たり前のことだが、ぼくらは心が曇っているときは太陽が「いない」と思ってしまう。それはちがう。

太陽はいつもそこにいる。ぼくらを照らしている。雲で太陽を「隠している」だけなのだ。つまり、たいていその雲は「自分発」なのである。

人を描くとき、誰にも物語があることに気づく。その人を創った親子関係であり、家族であり、知人や友人であり、学校であり仕事場であり、旅行であり日常である。どんなに小さいものだと自分では思っても、誰でも同じような体験をしていると思っても、だからこそ「語れるもの」であり「書かれるもの」なのである。

個々の物語は似通っているかもしれないが、他の人と同じ経験はない。だが違うものであっても、大きな目で見ると実は似ている。それを普遍性といい、共感を生む大きなポイントである。

たとえば父は煙たい存在だったという人がいる。その煙たさゆえに上京した。小言を言い、躾け厳しい父を嫌った人がいる。急逝したことにほっとしたという。父は暴力をふるう人だった人がいる。嫌ったが、暴力をふるう人に恋をした。また父の小引き出しに裸の女の生写真を発見した男の子がいる。男の子は妄想がちになり女子と上手く話せなくなった。

誰にもこういう些細な、しかし決定的な体験がある。体験のせいでどんよりとした人生を送っている人びとがいる。ここから脱するのは雲の上には太陽があり、そこから雲を透視することだ。「なぁんだ、ちっぽけじゃん」と気づけること。そしてそれは誰にも通じること、同じ空の下のことだと気づけることである。

それを引き出す文を書く大きな使命だと思う。

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かなりピンボケですみません…^^;

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