人を描く:窓からの連想

人物を書くー人が動き出すのは身体ではなく心から。だからその通り書けばいい。

美学生が飽きずもせずに、腰から上の腕の無い塑像を描いて練習するように、文章家もまた人を文で模写をしないと上達しない。

美学生はスケッチブックというスペースに像を描きだすことによって、小手先のテクニックだけを学ぶわけじゃない。像にペンシルで命を吹き込もうとしているのだ。

文でも同じだ。人も塑像のように光と影がある。光の当たる部分を上手に描くには、影の部分とのコントラストがいる。表層の行動には深層の心理がある。突き動かされる衝動を描くのか、じわじわ訪れる運命を描くのかでも違う。背景を描くにも、何かがたまたま起きたのか、引き寄せられるようにその方に行くのかでも違う。

自分の底へ自由連想しよう。自分をつくったものーたとえばである。

実家の子供部屋は2階だった。都会なので隣家の壁に手が届いた。小学生の高学年時分、隣には同級生の家族が住んでいた。窓越しによく何かを交換した。本だっただか、宿題だったか思い出せない。窓から窓へ移動した。子供同士の密通だった。

後年会社勤めをしだした時、会社の二つのビルが裏で隣合わせだった。窓越しに皆が書類やデータの受け渡しをしていた。ぼくは社内のある女子に内線電話を入れる。「窓にお願いします」彼女に手紙を渡した。「今日、会いたい」と。窓は密会の場だった。

高校の教室では友人はいなかった。ひ弱で勉強は中の上くらい、ド近視だった。本と映画が友達だった。ただ教室の窓だけが解放への扉だった。窓から外を見たり、窓の外のバルコニーにいた。窓はひとりぼっちの象徴だった。

「窓」の自分にとっての意味を考える。孤独を癒すものは向こう側、こちら側は癒されない自分。一人暮らしをする今、窓を執拗なまでに綺麗に磨く自分がいる理由が見えてきた…

と、虚実をないまぜにして、人物像を描いてゆく文章作業をしないといかん。

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ピノ子は窓の向こうに獲物を見つけてキャっと言った…(^^;)

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