石の来歴を知って

いしっころ いしっころ 舗装路の上のいしっころ いつからそこにいるんだい 採石場から来たときさ。

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駐車場脇の石を見て谷川俊太郎の詩をもじってみたが、読んだのは奥泉光著の『石の来歴』(1994年)である。出だしの一行がいい。「河原の石ひとつにも宇宙の全過程が刻印されている」。

太平洋戦争中のフィリピンのレイテ島北部、主人公の一兵卒である真名瀬剛は、天然の洞穴で瀕死の古年兵から石にまつわる話しを聞かされた。何の変哲もない石ころに地球という天体の歴史が克明に刻まれているのだと。

ほどなく彼は息絶えるのだが、その言葉の記憶が真名瀬の心の底にこびりついた。命からがら内地に戻り、父の稼業の神田の古書店をたたんで秩父に移り住み、やがて古書店が軌道に乗ると、石を収集したいという欲望に目覚める。あの時の記憶がそうさせるのだ。秩父の山を訪ねては石を集め、やがて石の知識を深め、化石まで発見する“石の専門家”になってゆくのだが、それはやがて血が塗られた石だとわかる。彼を蝕み、妻を子を蝕む石ころなのである… 家族の突然の死と生の絶望、そして死に至らしめる暴力が、あたかも石の生まれる地層のように多重に進行してゆく。

象徴的なイベントとそのフラッシュバック、登場人物の深層心理と狂気の行動、ほのぼのとした暮らしの向こうの崖。それらの要素が多重に重なり合い、荘厳な交響曲のように響き合うのが凄い。圧倒的な筆力である。

それは「どこにでもある石っころ」から始まるというのが印象的である。転落も狂気も実はどこにでも転がっている。あなたの心の中にも<>がある。その石の来歴を掘り下げればきっと語り尽くせない経験があるのだ。来歴を知れば、実は人は同じ狂気を太古から繰り返してきた存在であるという絶望がある。

凄い物語を読んだ。血になり肉になりました、なんておこがましくて言えない。この作品の前ではぼくは石っころである。

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