カセットテープの誘惑

学校や保育園に侵入してカセットテープを盗んだ男の言い分に引かれた。

「子どもの声が聞きたかった」

二十代の男は、中部から北陸にかけて5県36カ所の学校や保育園、廃校に窃盗に入ってカセットテープやVHSテープ<だけ>を盗んだ。205点に及んだ。媒体には校歌の合唱や卒業式の録画があった。時価相当額は数千円だから金銭目当てじゃない。子供の声マニアのフェティシズムだと言えば「キモい」で事件はチョンだし、たぶんそうなのだろう。

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注目させられた点はいろいろある。まずカセットテープという媒体である。

何しろぼくはカセットテープ好きなのでその魅力はわかる。四ミリ幅の茶色の磁性帯に音を録音して聴くことは、CDやmpegを遥かに凌ぐ秘密の花園的愉しみがある。だがねえ、学校ではまだラジカセがあるのですか?しかもテープで録音しているのだろうか?それを思うと別の疑問もわく。CDでもDVDでも子供の合唱団の唱歌集は販売されている。だが彼はあえてカセットを盗みに入ったのは、自然で素人のナマの声が良かったのだ。カセットという媒体とそれはよく合う感じがする。

妄想はさらに広がる。

実は窃盗犯は小学校の元音楽教員で、何らかの事情で辞めたけれど、やっぱり声が聞きたくなった。自宅の個室でカセットを回して孤独のタクトを振っているのだ。別の解釈はこうだ。彼は小学校高学年まで聴覚に異常があった。その後劇的に回復して「あるべき記憶を鼓膜に再録する」ために盗みに入った。夜な夜なカセットを回してはアナログ音を鼓膜に埋め込んでいる…

蛇足だがカセットはノスタルジーではない。クラシック音楽をノスタルジーと言わないのはそれがもはや不滅の文化だからだ。カセットテープやビデオテープは不滅でもなく文化でもない。単に企業の事業である。だがそこに「モノのあはれ」を感じるなら、窃盗犯のフェティシズムに肉薄できるってものだ。

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