角を落とす。

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こうしてね、ボール紙一枚一枚、四辺一辺一辺、角を落としてゆく。御朱印帳の表紙の芯材、角を落とすと仕上げが美しい。手間は惜しんじゃいかんのです。このボードカンナって道具は優れものだ。かっくい角がどんどんこそげ落とせる。同じ力、同じ速度、同じ姿勢でゆっくり引く。削り節のようにくるりの紙のカンナクズが楽しいねえ。何ごとも角ばっちゃいけねえよ。いやいやそんなの馬耳東風と肩を張って、片意地も張って生きてる人もいますわな。目に見える角っ張りは暴力のプロだ。ほら往来を肩で風を切ってゆく人びと。あの方々の角は誠に痛々しい。一方、目に見えない角っ張りもいる。外からは見えないけれど心に角があるのだ。それは別名プライドっていう。ゆずれねえこの一線は。それもわからぬでもないが、プライドってなんだろう。厄介でもあり不可欠でもあるのだろう。考えればプライドにも二つある。外向きと内向きだ。外向きのプライドは外から自分がどう見えるかに終始する人。醜いものさ。一方内向きのプライドは外からどう見えるかは関係ない。自分が決めた基準で生きる。基準に到達するまで頑張る。そういう人の持つ角は、多少欠けてもツンとしっかり保っているもんだ。心の中に角さえ保っていればめげずに続けられるってもんだ。しかしかばうわけじゃないんだが、角い奴はたいてい不器用なんだ。角張って生きるのを望んでるとは限らない。どうしたって丸くなれないんだよ。心に角があるせいで、そこにいろんな負の体験や負の思いが溜まる。劣等感や偽の優越感も、言えなかった感謝の言葉も、言えなかった謝罪の言葉も溜まる。諸々のものが角に溜まっているんだ。ほら角の埃は箒で掃き出しにくいのと同じでね、吐き出しにくい。持って生まれた角のせいでもどかしいったらありゃしない。なで肩のぼくはこんな妄想をしながらの週末です。では、人生の角を曲がったところで会いましょう〜

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