気候は人生を決める。

2月生まれなら寒さに強く暑さに弱く、8月生まれなら暑さに強く寒さに弱い。それは相当に正しい。幼少時からどこで育ったかは決定的なのである。

『安曇野の白い庭』(丸山健二著)の「水撒きは単調で退屈だが、植物をじっくり観察できる」の章には、作家が多湿がたまらなく嫌いだというくだりがある。東京のサラリーマン稼業は屈辱的だったが、それよりも停車した通勤電車の蒸し暑さには我慢ならなかった。なにしろ氏は安曇野のカラッとした地で育ったからだ。だからむしろ砂漠が好きだという。そして350坪の庭に水やりをどうするか悩んでも、庭に池があるのは絶対に許せない。カラリとしたい人なのだ。

ぼくはどうだろう。東京生まれの東京育ち、そして千葉の疑似都心に流れた。その間、オーストラリアの亜熱帯や米国西海岸に1−2年ずつ住んだけれど、気候はどちらも「安住地」には思えない。前者はべっとり暑すぎる。後者は乾燥で睡眠がつらい。ずーっと考えて、長野県が思いついた。ただ安曇野ではなく野沢温泉である。新潟に近い豪雪地帯、山あいの小さな昭和の部落である。忘れられない風景がある。

冬、ただしんしんと路地ばかりの町に積もる雪景色である。吹雪くことはなく、ただただ積もってゆく。雪の音だけが響いていた。あれがいい。なぜかなあ、と考えたらわかった。

ぼくは風が嫌いなのだ。東京は意外と風が強い。千葉はもっと強い。もちろん海に近いからだが、前に住んでいたマンションは周囲が空き地が多く、マンションだけが高層なので「おろし」が吹いた。川沿いをジョギングすると風に押された。それも馴染めなかった。

風は何かを奪う一方である。体温や汗だけでなく思考を飛ばされる。「降りてくる言葉」を待っていても、飛んでいっちゃうじゃないか。これがたぶん理由である。

自分の好きな気候から住処を選ぶということをしたことがない。やってみたいが、実生活で逆風ばかりの人生、せめて自然界の風には優しくされたいな。

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ピノ子は狭い世界に住まわせてしまっているが…

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