ぼくはいろんな「文の引き出し」を持っているつもりだ。文体、表現、人称などが入っており、ガサゴソすると必要な文が出てくる。それをキーボードの上に広げて書く。
たいていはそれでいけるのだが、今日は「患者家族会の会話の文」でつまずいた。どう書いてもピンとこない。会話をどう書けばいいのかわからない。
10数名が集って語らう場。司会者に近い人はいるが基本的にはフリートークである。ひとりの発言がやたら長かったり、逆にひと言で終わったり。内容は家族の心の病気のことで、切実である。嘆きもあれば満足もあり、発散もあれば共感もある。涙もあれば笑いもある。情感たっぷりの会話をできるかぎり「ナマのまま」描きたい。
そこで問題になるのが「発言者」をどう描くかである。
語らいの場を文にして読ませようとすると、当然会話文である。人物説明を挿入すると臨場感が無くなる。ト書きみたいな説明文ではクサイ。一人一人自己紹介させるのもおかしい。三人称の神の目で書くとおかしくなる。だが入れないと戯曲のようなカギカッコ文の羅列になる。人を仮名にしてみると人は記号になる。文では話しっぷりで個性を出してみても、やっぱり説明がいるのだ。
2人や3人の発言ならどうとでも書けるが、10人となるとむつかしくなるものだ。結果、うーん…と唸って書けなくなって、出掛けた。今日は就活支援講座の講義の日なのだ。講義でぼくは生徒にこう言った。
「ビジネスで大切なことをひとつだけ挙げるなら、それはアイデアである」
文も同じなのだ。どう表現するかはアイデアである。アイデアとは馬上枕上厠上で生まれるので、現代の馬である電車の中でじぃっと考えた。すると解が降りてきた。ホッホッホッ〜(^^)かんたんなことだった。あの人の目から書けばいい。その人の手記にしてしまえばいい。これが答えだがわかるまい(^^)
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