もらい下手の理由

前に「もらい下手のかもめ」の話しを書いた。かつてギャラリー(アートマルシェ神田)があったビルの裏手をゆく神田川には、5月から10月までゆりかもめがいる。彼らに時々パンくずをあげるのが楽しかった。

かもめは川の上空をぐるぐる回り、放り投げるパンをぴゅっとさらう。見事である。だが良く見ると、強いやつは強い。他のかもめを羽根で叩くことさえする。いっぽう堤防に降りて来てお行儀よく「くれるのを待つ」かもめもいる。もらうのが下手なかもめだ。ふとぼくは自分が「堤防組」だと思った。

という内容で、たしかMakikoさんも「あたしもそう!」ってコメントをくれた。もらい下手は「おしとやか」で「お行儀がよく」て「礼儀正しい」のか。そうだとしてもなぜなのか…時折考えることがあったが、今朝、もらい下手の理由がわかった。ひらりとわかった。答えは単純だ。

もらって育ってないから、もらうのが下手なのだ。

もらうものーそれは親からの愛情である。子供部屋やご飯やお小遣いではない。そういう「必需品」的な類いのものではなく「無形の愛情」である。ぎゅっと抱きしめてくれるという類いの、「良い子だね!」という優しいひと言の類いの、無形の愛である。

それを十分にもらっていれば、もらうのが上手くなる。もらうのが上手くなればもらったものが溜まって、溜まればあげるのが上手くなる。この循環が素直にあるのが、本当の意味での「育ちがいい人」なのだ。それが十分でないぼくら(と勝手に複数形にしたが)は、育ち下手なのだ。

愛を授かればちゃんと人を愛せる。愛がなければ愛で失敗する。独身でいたくないのにいたり、離婚をしたり。でも救いはある。それは、今はわかった。

優しい人に触れればいいのだ。優しさをもらって、優しさがわかれば、優しさが体内で育つ。そうすると愛せるようになる。シンプルだけれども道は険しく平坦ではない。

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「もっと餌を!」とオーブントースターに乗って…(^^;

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