『福原愛、リオ五輪「涙のエッジボール」猛抗議の舞台裏』は長文だけれど(8000字)読ませる。読めばスポーツがわかる。選手の闘争心がわかる。監督の管理手腕もわかる。なぜそう感じさせるのだろうか。
例の“エッジボール”で終戦になったリオ五輪卓球女子団体準決勝「日本×ドイツ」を描いた村上恭和監督へのインタビュー記事である。ぼくは報道写真と試合結果しか知らなかったが(TV受像機を持たない生活なのだ念のため)、幾つか疑問が残った幕切れだったのは覚えていた。
まず“エッジ”はどっちの勝ちだったのか?なぜドイツ選手はあんなにはしゃいで喜んでいたのか?床に背を付けて腕も足もあげていた。そして福原は泣きじゃくらなかったのか?あの泣き虫はどうだったのか?
その疑問に答えながら、紐解くように監督の証言で事実と状況を組み立てながら、単なる謎解きを超えた良文だった。丹念に読んでゆくとその理由はわかる。筆者(ダイヤモンド社 田中 泰さん)はインタビューをそのまま書いているわけじゃない。
筆者は「人を書いている」からだ。
このインタビューでは人びとが見える。福原らしさ、石川らしさ、監督らしさがある。彼らを囲むチームメンバーが見える。インタビューの形を借りた選手の物語がある。だから読ませる。
およそQ&Aのインタビューほどつまらないものはない。「今のお気持ちを教えてください」的なヘタくそな質問だったらなおさらだ。インタビューだからって言葉や服装だけ書いてんじゃ、ただのテープ起こし、伝聞である。書けないのは時間が無いせいもあろうが、たいていのライターは人を描けないのだ。だからつまらない記事ばかりなのだ。
インタビューは「人」が描かれているからこそ読ませる。だから話す言葉が生きてくる。今書こうとしている原稿で良い気づきをくれた。
うちの猫はハエを追って少しは痩せるだろうか…
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