遺伝子のいたずらをもった子がいる。
いたずらのせいで、できることが遅れたりすることがある。いたずらのせいで、身体のあちこちに不調をかかえてできないことがある。
いたずらのせいで、心臓や消化器に病気をもち、目が悪かったり耳が聞こえにくかったりすることもある。それを医学的にはダウン症の合併症という。合併症のために寿命が短いこともある。
その代わりに、いたずらのせいで普通の子より純粋に生きられる。普通の子には描けないビビッドでナチュラルな絵を描いたり、普通の子にはできない歌を歌ったり楽器演奏ができたりもする。
どうしてそうなるかといえば、医学的には遺伝子のいたずらである。たった1本、21番の染色体が多いのだが、それは神様がコヨリをつくって、生まれてくる赤ちゃんたちの上から、ぽつりぽつりと落としているという。たまたまそれを吸い込んだ赤ちゃんの染色体が一本多くなる。
コヨリをもった赤ちゃんは、コヨリを親にバトンのように渡すのだ。渡された親の手の中でコヨリは変形をし始める。絶えることのない涙になる。言葉に言い尽くせない言葉になる。握りつぶしても握りつぶしても潰せないものになる。
人を愛するあまり、自己の卑小な存在に絶望するときがあるように、子を愛するあまり、その言動や行動や存在に絶望するときがある。愛することに疑いがなければないほど、絶望は相対的に重く暗く冷たい壁となって囲いこむ。
だが絶望色は永遠に絶望色ではない。合併症が12年の通院•治療•投薬の歳月を経て消失するように、希望色に変わる時が来る。地上から見れば壁また壁の行き止まり道だが、天上から見れば出口のある迷路なのだ。神様は見て、そっと笑っている。
だからコヨリは病気ではなく、神様のギフトといわれる。
この世の迷路を歩くために火を灯す芯なのである。誰もが暗い道を歩く。太陽が出ているのに真夜中を歩く。涯にある死を暗い穴に見ている。だがそれは、目を閉じて歩いているだけなのだ。
片目をあけよう。愛する人が半分見える。もう片目をあけよう。愛する人に焦点が合う。するとあたりが明るくなる。絶望を裏返した希望というランプで、足元を照らして歩くことができる。それはコヨリを授かり、それに希望という火をともせたからだ。
郷さん、涙が止まりません‥‥
また郷さんからの最高の「ギフト」
私はいつだって、
郷さんの言葉で生かされている‥‥
この心、あたためてくれてます‥‥
本当に、ありがとうございます‥‥
☆MIMO☆
ほんとうによかったですね。これからの成長がまた楽しみですね。