母の手

昨夜、心療内科医から電話があったとき、こんな話しをした。

母が病院で危篤になったとき、ぼくの子や兄ら家族が揃っていました。いよいよ往生かという瞬間が来ました。母の手は左右に2本しかありません。ぼくから見て向こう側には、ぼくの子供たちがいて握っていたようです。こちら側には母の親友がいました。彼女が母の手を覆っていたので、ぼくは母の亡くなる瞬間、手に触れることができなかったのです。あの瞬間を、何度も思い出します。

そう言うと先生はぼくに言った。「わかりませんけれど、何かしらありそうですね」。自由連想で小さな思い出を積み上げてゆくと、ほんとうの母子関係が見えてくると先生がいうので、折りに触れて思いだしている。

今朝早く、猫に鳴き起こされた。猫草が欲しいという。まだ5時前の暗がりでぼくは猫に言った。

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ぼくがもしもいなくなったら、○○○さんに育ててもらってね。優しいからダイジョウブさ。いいかい。

猫は怪訝な顔をしたようだった。その後で部屋の掃除をして、玄関の扉を開けた。玄関先も紙のモップで拭くのが日課だ。扉を開けて中に入ろうとした瞬間、いつも猫はひょいと下がるのに、今朝に限って、外に出てきた、あっと言う間に階段を数段降りていた。

ピノ子!

と言うとぼくを振り向いて、止まった。それ以上逃げなかったので、捕まえて家に入れた。猫を抱きしめて言った。

ごめんね。ぼくがいなくなるなんて言ったからだね。いなくならないよ。ずっと一緒に暮らそうね。

猫はどうやらうなずいたようだ。猫だって寂しい思いをするのだ。させてはならないのだ。しばらく後にもうひとつ母の思い出が蘇った。それはちょうど50年前の池袋駅の構内の雑踏である。ぼくは小学校に入学する年の春休みで、別の町から引っ越してきたばかりだった。当時の池袋は中央に1本のコンコースがあるきりで(現在は南口•北口に数本ある)ものすごい人の量だった。人の流れが流木のように来た瞬間、母とつないだ手が切れた。

母が見えなくなった。

あの体験がぼくの寂しがりの原点にあるのだろうか。母に甘えきれなかった原因があるのだろうか。

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