であるとですはちがう。呪文ではない。「である」と「です」のことであるのです。
林邦昭氏(元名誉教授/長崎大学)の読影(どくえい)に関する論文を読んでいた。読影とはレントゲン画像やCT、血管造影など画像情報を読むことをいう。影を読むというのは、もちろん胸部レントゲン写真の時代の名残りというか語源だ。氏の単純X線写真の診断所見の表現法論文に、こんなくだりがある。
「である」調がよいか 「です.ます」調がよいか?
これも,どちらでもよい.その時の気分で変えてよい.また,レポートを出す相手によって変えてもよい.
私自身は,通常は「である」調を使い,ときどき「です•ます」調となる.
医学情報であるから正確に伝われさえすればどちらでもというのだが、もちろんニュアンスは違う。
言い切り度は「である」が強い。有無を言わさぬ感じがある。一方「です」も言い切りではあるが、「である」が客観的断定なのに対して、「です」は自己主張的断定とも言えそうだ。実際の文で比較してみよう。
我が輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。
私は猫です。名前はまだ無いのです。どこで生まれたかとんと見当がつきません。
比べると前者はオス猫であり、「俺は孤児さ、それがどうした」という気負いがある。後者はメス猫であり、悲しげで生みの親をニャオニャオ思っている。出だしを変えるだけで小説はまったく違う内容になるのであります。
当家の家の猫、ピノ子は座布団に隠れた。なぜかと言えば昨日また吐いてカバーを汚したからだ。洗濯したカバーにもぐり「である」と「です」で謝ってきた。
吐いた非は認めよう。だがそれは餌が安物ゆえである。
吐いてごめんなさい。私の口には合わなかったのです。
飼い主はこう告げた。
いずれにせよガツガツ食べるから吐くのである。当分の間カリカリオンリーです。
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