ある人が興味深いことを言っていた。平成天皇の玉音放送についてだ。
9条の前に1条を論ぜよ
が天皇や皇后の狙いだという。うーんと考えさせられた。
皇居から流れる気流を読めば、天皇が自民党内閣の好戦的な態度を心良く思っていないのは明白である。何しろ彼は70年前、およそ10才で「人の子供」になり、戦後の焼け野原をつぶさに見た人だ。筋金入りの平和人である。
そして東日本大震災でいち早く被災地に見舞いに行った。原子力行政や原子力発電に必ずしも賛成でないと推察もできる。年間270日余の公務にかなりの数が地方の町や福祉施設への訪問、被災地への見舞いに割かれている。天皇ほど現場を見て人の声を聞いて、憂慮している高官は日本にはいない。
そんな空気の見方が正しいとすれば、一昨日の8月8日の放送で何度も「象徴」と話した意味が見えてくる。
象徴であるがゆえに、マツリゴトすなわち政治に関わることはできない。関わることはできないけれども、身を張って制することはできる。それが生前退位だというのだ。
彼は生前退位の立法をしなければならない道筋を立てた。コむつかしい論議はさっぱりわからないが、生前退位を認めていいのか、そのあとの継承は誰まで許されるのか、もろもろを議論を尽くしてくださいと、天皇は語った。
すると平和憲法の第一条から、改めてその解釈や修正も必要かもしれない。必要がなくても、少なくとも第9条の修正なぞは「その後のマツリゴト」だ。数年延期させれば気流も変わるかもしれない。南シナ海も変わるかもしれない。
この説がホントかどうかわからないが、自ら平和の盾になって責務を担う人柄だと思う。
猫も杓子も平和が一番。
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