「ほめて ほしかった」のだと思う。彼も…

10日ほど前にFacebookでシェアされていた小学生の女の子の詩。詩というよりは気持ちである。じっくり読もう。

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タイムカプセルから出したこの詩、つくった子が30年後の今、どうなっているか知らない。大きな怒りもなく、大きな悲嘆もなく、大きな落胆もなく、穏やかに育っていればいいけれど、このお母さんのことだ。土よう日にしゅくだいをしたらこう言っただろう。

「らいしゅうの ぶんも やりなさい」

すると何が起きるか。この子はいま37才くらいだ。ちょうど7才くらいの子供をもっているかもしれない。だとするとこう言っている。

「いまごろやっているの?きのうやってなかったの?」

言われた子はまた30年後、同じことを言うだろう。いや三代目になると、負の連鎖が溜まって溢れるという。溢れるとどうなるのか。それはケースバイケースだが、たとえば相模原殺傷事件の青年のようになる。

心の病気にかかった人や、心の病気にかかった子供を持つ人とあの事件のことを話した。やっぱり「親が引っ越して彼に家だけ残していった」のがおかしいと口を揃えた。ぼくも同じ感想だ。親の情報やコメントが目につかないのは、親が取材を拒否できる立場にあるのだろうか(テレビがないので情報をきちんと追ってはいない)。教育者という話しもきいたが。

殺傷事件を起こした彼もまた親の犠牲者ではないだろうか。ほめてもらえなかったのではないだろうか。そこに突っ込まない限り、結局どこかで繰り返される。

既に終わった事件の立証にコストをかけるよりも、彼の心の遡りをすることにコストをかけてほしい。作文を書かせてほしい。ヒトラーの思想を実行したと口走ったが、そんなことではなく、もっともっと奥の心の底のことだ。それを親に理解させ、世間に発表することがよっぽど大事だと思う。

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