昨日から「かみのみか」のことを考えている。小さなオンラインショップで、いちおう世の中にあまりないものを売っている。そうはガンガン売れない。たとえ売れたとしても、別の問題が発生する。
投資である。
商品販売活動とは「在庫投資」である。リアリテイ(リアリティ+有り体の造語)に言えば、「資金繰り」のことを言う。幾ばくかの在庫をスタートに、かみのみかを始めて投資のタネをつくり、期待の★に投下集中しようと思ってきた。タネができたとしても問題は何に投下するか。
おとなしく御朱印帳を継続する、キットをそろえてゆく、手紙系の商品開発をする。一人きりだし、本業は作文屋だし、あれもこれもできない。絞り込む必要があるがそれには大義名分が必要である。「残りの人生どう生きるか」大げさだが、結局はそういうことだ。
そこまで考えて、昨日ママスのしもむらさんの言葉を思い出した。
「渋谷陽一さんは尊敬してるな」
雑誌『rock’n on』の創業者である。彼は「ロックを語ること」をつくった。ぼくも彼の文の血が何ccか体に入っている。『CUT』も『SIGHT』もよく買った。久々に彼のブログをつらつら読んだ。
6月22日付の『銀杏BOYZ「世界平和祈願ツアー2016」の初日を観た』がおもしろい。「銀杏のライヴは内臓のコミュニケーションという感じがある。言葉や歌、叫びや動き、どれにもあるが、一番内臓感があるのはメロディなんだ」という一文がいい。銀杏が何者か知らないから意見はないが、「内臓感」というワードがべらぼうにいい。
渋谷陽一氏はパフォーマーと観客の間で、肉厚で立体的な言葉を積み上げて「音楽ー言葉」の翻訳を40数年もしてきた。
そうかこれはあるなあと思った。cherryさんにかつて言われた「ごーさんて結局ことばでしょ」を思い出した。今夜はここまで。尻尾を出して失礼します…
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